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東京地方裁判所 昭和53年(行ウ)140号 判決 1986年9月29日

東京都台東区上野六丁目九番一九号

原告

株式会社法華倶楽部

右代表者代表取締役

小島五十八

右訴訟代理人弁護士

木下良平

三宅陽

東京都台東区東上野五丁目五番十五号

被告

下谷税務署長

小澤康男

右指定代理人

榎本恒男

棚橋新作

山寺信男

村松武志

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が

(一) 昭和五一年一〇月三〇日付でした

(1) 原告の昭和四八年八月一日から昭和四九年七月三一日までの事業年度(以下「昭和四九年七月期」という。)の法人税の再更正のうち所得金額七二七八万六六六三円を越える部分及び過少申告加算税賦課決定

(2) 原告の昭和四九年八月一日から昭和五〇年七月三一日までの事業年度(以下「昭和五〇年七月期」という。)の法人税の更正のうち所得金額八一五九万三四〇五円を越える部分及び過少申告加算税賦課決定

(二) 昭和五四年六月三〇日付でした原告の昭和五〇年八月一日から昭和五一年七月三一日までの事業年度(以下「昭和五一年七月期」という。)の法人税の更正のうち所得金額六二八八万七七二一円を越える部分及び過少申告加算税賦課決定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (原告)

原告はホテル業を営む株式会社である。

2  (課税処分等の経緯)

(一) 原告が昭和四九年七月期の法人税について、被告に対してした確定申告、被告が原告に対してした更正及び過少申告加算税賦課決定並びに再更正(以下「昭和四九年分再更正」という。)及び過少申告加算税賦課決定(以下「昭和四九年分決定」という。)、原告がした審査請求、国税不服審判所長がこれに対してした裁決の内容は、別紙一の1表記載のとおりである。

(二) 原告が昭和五〇年七月期の法人税について被告に対してした確定申告、被告が原告に対してした更正(以下「昭和五〇年分更正」という。)及び過少申告加算税賦課決定(以下「昭和五〇年分決定」という。)、原告がした審査請求、国税不服審判所長がこれに対してした裁決の内容は、別紙一の2表記載のとおりである。

(三) 原告が昭和五一年七月期の法人税について被告に対してした確定申告、被告が原告に対してした更正(以下「昭和五一年分更正」という。)及び過少申告加算税賦課決定(以下「昭和五一年分決定」という。)、原告がした審査請求、国税不服審判所長がこれに対してした裁決の内容は、別紙一の3表記載のとおりである。

3  しかしながら、昭和四九年分再更正のうち所得金額七二七八万六六六三円を越える部分、昭和五〇年分更正のうち所得金額八一五九万三四〇五円を越える部分及び昭和五一年分更正のうち所得金額六二八八万七七二一円を越える部分は、それぞれ原告の所得を過大に認定してした違法があり、したがつて、右各年分の決定も違法であるから、その各取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1及び2の各事実は認め、同3の主張は争う。

三  被告の主張

1  被告が認定した原告の各期の所得金額の算出過程は、次のとおりである。

(一) 昭和四九年七月期

(1) 同期の所得金額の算出過程は別紙二の1表記載のとおりであり、その金額は九六七五万二七二九円である。

(2) このうち寄付金の損金不算入金額の増加額(同表<16>欄)二三六九万五五四六円の算出根拠は、別紙三の1表記載のとおりであるが、以下、同表の個々の項目について述べる。

<1> 支出した寄付金の額(利益処分によるものを除く。同表4欄)

二九〇一万八一六二円

右金額は左の(ア)と(イ)の合計額である。

(ア) 試験研究法人等への寄付金額(法人税法三七条三項三号、同法施行令七七条。同表2欄)

一二〇万円

右は原告の申告にかかるものである。

(イ) 法人税法三七条三項以外の寄付金額(同表3欄)

二七八一万八一六二円

右の金額は左のaないしcの合計額である。

a 申告にかかるもの

二九七万四〇〇〇円

b 当初更正にかかる加算額

三七万五〇〇〇円

c 本件再更正にかかる加算額

二四四六万九一六二円

右cの内訳は別紙四の1表記載のとおりである。

<2> 寄付金の損金算入限度額

二五〇万八六三四円

右金額は別紙三の1表の15欄と16欄との合計額である。

<3> 寄付金の損金不算入額(同表18欄)

二六五〇万九五二八円

右金額は<1>から<2>を控除したものである。

<4> 申告にかかる寄付金の損金不算入額(申告調整金額。同表19欄)

二八一万三九八二円

<5> 本件加算額(同表20欄)

二三六九万五五四六円

右金額は<3>から<4>を控除したものである。

(二) 昭和五〇年七月期

(1) 同期の所得金額の算出過程は別紙二の2表記載のとおりであり、その金額は九六七四万一五八六円である。

(2) このうち寄付金の損金不算入額の増加額(同表<10>一八一四万〇三一五円の算出根拠は、別紙三の2表記載のとおりであるが、以下、同表の個々の項目について述べる。

<1> 支出した寄付金の額(利益処分等によるものを除く。同表4欄)

二〇一五万五九三〇円

右金額は法人税法三七条三項以外のものであり、左の(ア)と(イ)との合計額である。

(ア) 申告にかかるもの

一七六万〇二〇〇円

(イ) 本件更正にかかる加算額

一八三九万五七三〇円

右金額は左のaとbとの合計額である。

a 財団法人立正育英会及び風雪近代政経研究会に対する寄付金

一八万円

b 右aを除いた寄付金

一八二一万五七三〇円

右bの内訳は別紙四の2表記載のとおりである。

<2> 寄付金の損金算入限度額

一二七万九八二〇円

右金額は別紙三の2表の14欄記載のとおりである。

<3> 寄付金の損金不算入額(同表17欄)

一八八七万六一一〇円

右金額は<1>から<2>を控除したものである。

<4> 申告にかかる寄付金の損金不算入額(申告調整金額。同表18欄)

七三万五七九五円

<5> 本件加算額(同表19欄)

一八一四万〇三一五円

右金額は<3>から<4>を控除したものである。

(三) 昭和五一年七月期

(1) 同期の所得金額の算出過程は別紙二の3表記載のとおりであり、その金額は一億四六二七万三七八〇円である。

(2) このうち寄付金の損金不算入額の増加額(同表<4>欄)八四八九万四七三五円の算出根拠は、別紙三の3表記載のとおりであるが、以下、同表の個々の項目について述べる。

<1> 支出した寄付金の額(利益処分等によるものを除く。同表4欄)

九二七一万七三二二円

右金額は左の(ア)と(イ)との合計額である。

(ア) 試験研究法人等への寄付金の額(法人税法三七条三項三号、同法施行令七七条。同表2欄)

二六六万九一六〇円

(イ) 法人税法三七条三項以外の寄付金の額(同表3欄)

九〇〇四万八一六二円

右金額は左のaとbとの合計額である。

a 申告にかかるもの

一四七万五二七七円

b 本件更正にかかる加算額

八八五七万二八八五円

右bの内訳は左の(ⅰ)と(ⅱ)との合計額である。

(ⅰ) 系列会社が負担すべき四恩育英会に対する寄付金の額

一二三万〇八四〇円

(ⅱ) 右(ⅰ)を除いた寄付金の額

八七三四万二〇四五円

右金額の内訳は別紙四の3表記載のとおりである。

<2> 寄付金の損金算入限度額

四〇七万四七五八円

右金額は別紙三の3表の14欄と15欄との合計額である。

<3> 寄付金の損金不算入額(同表17欄)

八八六四万二五六四円

右金額は<1>から<2>を控除したものである。

<4> 申告にかかる寄付金の損金不算入額(申告調整金額、同表18欄)

三七四万四七三五円

右金額は<3>から<4>を控除したものである。

2  別紙四の1ないし3表記載の各保証金の運用益相当額の寄付金について

(一) 原告は、ホテルの経営を業とするものであるが、法華倶楽部大分店(以下「大分店」という。)、同広島店(以下「広島店」という。)を開設するにあたり、原告の全額出資により昭和四八年三月一六日株式会社大分法華倶楽部(資本金一億円、以下「大分クラブ」という。)、同年八月一五日株式会社広島法華倶楽部(資本金二億円、以下「広島クラブ」という。)を設立し、また、従前から経営する法華倶楽部鹿児島店(以下「鹿児島店」という。)についても、同様に原告の全額出資により昭和四九年二月一五日株式会社鹿児島法華倶楽部(資本金七〇〇〇万円、以下「鹿児島クラブ」という。なお、以上の大分クラブ、広島クラブ、鹿児島クラブを総称し以下「関係各子会社」という。)を設立したうえ、昭和四八年八月一二日付で大分クラブと、同年九月一二日付で広島クラブと、昭和四九年二月二五日付で鹿児島クラブとそれぞれ「ホテル管理運営委託契約」(以下「旧委託契約」という。)を締結し、大分店の業務を大分クラブに、広島店の業務を広島クラブに、鹿児島店の業務を鹿児島クラブにそれぞれ委託した。

(二) 右旧委託契約によれば、原告は、大分クラブから大分店の営業開始日である昭和四八年一一月一六日に三五四〇万円を広島クラブから広島店の営業開始日である同年一〇月八日に一億一〇四五万七三〇〇円を、鹿児島クラブから旧委託契約締結日である昭和四九年二月二五日に三六三〇万円を、それぞれ右ホテルの管理運営に伴う関係各子会社の一切の義務の履行を担保するための保証金(以上合計一億八二一五万七三〇〇円、以下「本件保証金」という。)として無利息で預託を受けるべきものとされた。

しかるに、原告は、右預託を受けるべき保証金(債権)を関係各子会社に対する未収入金勘定(貸借対照表中借方)に計上するとともに、右保証金(債務)を関係各子会社に対する長期預り金勘定(貸方)に計上する経理をしており、関係各子会社においても、保証金預託条項に基づきそれぞれ原告に預託すべき保証金相当額を原告に対する債務として未払金勘定(貸方)に計上するとともに、右金額と同額を原告に対する債権として敷金勘定(借方)に計上する経理をしていた。

(三) 原告は、関係各子会社との間において、いずれも昭和五一年六月三〇日付で新たに「ホテル管理運営委託契約」(以下「新委託契約」という。)を締結して旧委託契約を解除し(新委託契約によれば、同契約は昭和五〇年八月一日に遡り締結することとされ、旧契約の保証金預託条項は削減されている。)、昭和五一年一一月一日付覚書によつて、本件保証金預託契約を旧委託契約で定めた預託すべき日にまで遡つて取りやめる(免除)ものとしている。

そして、原告及び関係各子会社が経理上作成している振替伝票の記載によれば、原告は昭和五一年七月三一日関係各子会社に対する右保証金の未収入金の額と長期預り金の額とを相殺処理し、また、関係各子会社も同日本件保証金と同額の敷金の額と未払金の額とを相殺処理しているのである。

(四) 一方、原告は、関係各子会社から別紙五の1ないし3記載のとおりの金員の借入れを行い、これについて年利率一〇パーセントに相当する額を支払利息として費用の額に計上する経理をしている。

(五) 右の事実によれば、原告はその支配下にある関係各子会社から、旧委託契約に基づき合計一億八二一五万七三〇〇円の金員を保証金として無利息で預託を受け、これを元本として運用する権利、利益を有していたにもかかわらず、これを当該関係各子会社に対する未収入金に計上した(関係各子会社においても、同額を原告に対する未払金に計上している。)うえ、昭和五一年六月三〇日付新委託契約を締結する等して、同年七月三一日右保証金の未収入金の額と長期預り金の額とを相殺処理し(関係各子会社においても同日右保証金の敷金の額と未払金の額とを相殺処理している。)、保証金の預託を免除したばかりでなく、右額を上まわる金員をそれぞれ当該関係各子会社から借入金として受け入れ(関係各子会社もこれを原告に対する長期貸付金に計上している。)、これに対し年利率一〇パーセントに相当する利息を付しているのであつて、原告が、本件保証金に関連して行つた右行為は合理的経済人の見地からすれば通常なし得べくもない不自然で、不合理なものといわなければならない。

してみると、原告は、本件保証金について、無利息で提供を受け、その運用による利益(つまり、右金員に対応する利息の負担の減少等)を享受し得たにもかかわらず、これを未収入金に計上したうえ、新委託契約によつて後にその提供義務を免除したものであり、他方関係子会社としては、もともと無利息で原告に提供すべき本件保証金に相当する金員を原告に対する貸付金として運用し、利息相当額の収益を獲得することが可能になつたのであるから、原告としては、本件保証金を未収入金として計上し、預託義務を免除することにより、右金員の運用による収益に相当する経済的利益(右支払利息相当額)を当該関係各子会社に無償で供与したことになる。

そこで、被告は、右経済的利益に相当する収益が原告に帰属したところ原告はこれを寄付金として支出したものと認定したのである(法人税法二二条二項、三七条五項)。

(六) そこで、各事業年度の右経済的利益(各保証金に対応する借入金の支払利息相当額)を計算すると、別紙四の1ないし3表の各「保証金の運用益相当額の寄付金」欄の「経済的利益の供与額」欄記載のとおりの金額となるから、右金額は各期における寄付金に加算されるべきである。

3  別表四の1表記載の大分クラブの地代相当部分の賦課金の免除による経済的利益の供与額について

(一) 原告と関係子会社との間における旧委託契約によれば、関係各子会社は原告に対し各店舗における地代ないし地上権償却相当額、家賃ないし建物償却費相当がく及び月間売上高に対する一定額(以下「売上スライド部分」という。)の合計額を賦課金として毎月支払うべきものと定められていた。

ところが、原告は大分クラブとの間における昭和四八年一一月一五日付覚書をもつて、同クラブに対し同月一六日から昭和四九年七月三一日までの間の賦課金のうち地代相当部分一一四一万七六二五円の支払いを免除した。

(二) 右賦課金のうち特に地代相当部分及び家賃相当部分は店舗の実際の賃借料等に応じて定められた合理的なものである。

すなわち、大分店の建物は原告が住友生命保険相互会社(以下「住友生命」という。)から借り受けたものであるところ、原告が昭和四九年七月期中に右建物の賃借料として住友生命に支払つた金額は四五九〇万円であつた。これに対し、原告が大分クラブから収受した当該事業年度分の家賃相当部分は三四四八万六五四〇円であり、これに原告が同クラブに対して支払いを免除した地代相当部分一一四一万七六二五円を加えるならば四五九〇万四一六五円となり、右賃借料の額と一致するのである。

(三) 一方、原告が大分クラブに対し右地代相当部分の賦課金の支払義務を免除したのは大分店の開店の日の前日のことである。

(四) そのため原告のした前記地代相当額の一部につきしかも未だ経営状態が不明な時期にされたものであることからみて、到底経済取引としての合理性を有するものとは認められず、むしろ同クラブの経営を助成するためにあえてされたものというべきなのである。

そうであれば、原告は同クラブに対し、右一一四一万七六二五円の賦課金の支払義務を免除することによりそれに相当する経済的利益を無償で供与したものというべきであるから、右金額も法人税法三七条五項の規定により原告が昭和四九年七月期中において支出した寄付金の額に算入すべきである。

4  別紙四の3表記載旧契約により収受すべき賦課金の免除による経済的利益の供与額について

(一) 原告と関係各子会社との間における旧委託契約によれば、関係各子会社との間における旧委託契約によれば、関係各子会社は原告に対し地代相当部分、家賃相当部分及び売上スライド部分の合計額を賦課金として毎月支払うべきものと定められており、その算定基準は合理性を有するものと認められる。

そして原告は、前期3の大分クラブに対する昭和四九年七月期の一一四一万七六二五円を除き、旧委託契約に基づいて関係各子会社から受け取るべき賦課金の額を毎月家賃収入として経費の額に計上していた。

(二) ところが、原告は、昭和五一年六月三〇日に至つて旧委託契約を改訂し賦課金算定の基準を売上スライド部分の一基準のみによることと変更し、その変更の効力の発生の日を昭和五〇年八月一日に遡及させその結果すでに計上した収益の額の一部を減額処理した。

すなわち、原告及び関係各子会社が経理上作成している振替伝票によれば、原告は、昭和五一年七月三一日付で旧委託契約において取り決めた賦課金算定基準によつて計算した昭和五〇年八月分から昭和五一年七月分までの賦課の額を、算定替えにつき訂正するとして家賃収入の額から減算するとともに、新委託契約による変更後の賦課金算定基準に基づいて計算した当該期間に係る賦課金の額をもつて家賃収入の額を増額している。

また、関係各子会社も同日付で原告の経理に対応して、それぞれ原告が家賃収入の額から減額した当該金額については支払家賃の額から減額し、更に、原告が家賃収入の額を増額した当該金額については支払家賃の額を増額している。

(三) したがつて、原告は旧委託契約によつて、原告の昭和五〇年八月分から昭和五一年六月分までの収益の額として確定的に発生していた関係各子会社の賦課金の額について新委託契約による賦課金の算定基準を昭和五一年七月期開始の日に遡及して適用し、すでに計上した収益の額の一部を減額修正する方法により、その額の一部の支払義務を関係各子会社に対して免除したことになる。このような行為は合理的経済人の見地からすれば、通常なし得べくもない不自然かつ不合理なものといわなければならない。

(四) そこで、原告は、関係各子会社に対して、別紙四の3表の「旧契約により収受すべき賦課金の免除額による経済的利益の給与額」欄記載のとおり一旦収益として原告に帰属した合計七〇六六万九一八〇円の支払義務を免除することにより、それに相当する経済的利益を無償で供与したものというべきであるから、右金額も原告の収益、関係各子会社に対する寄付金に加算されるべきである(法人税二二条二項、三七条五項」。

5  過少申告加算税賦課決定処分の適法性

(一) 昭和四九年七月期分

昭和四九年分再更正は、前記のとおり、適法になされたものであるから、これにより原告が新たに納付すべき法人税額は別紙一の1表の昭和四九年七月期分の再更正に係る「当該処分等により納付すべき法人税額」欄のとおり一〇四三万八四〇〇円となり、原告は過少申告していることとなるので、被告が国税通則法六五条一項に基づき同法人税額に一〇〇分の五の割合を乗じた五二万一九〇〇円(同法一一八条三項、一一九条四項により本税一〇〇〇円未満、附帯税一〇〇円未満の各端数切捨て)に相当する過少申告加算税を賦課決定したことは適法である。

(二) 昭和五〇年七月期分

昭和五〇年分更正についても右と同様に適法にされたものであるから、これにより原告が新たに納付すべき法人税額は別紙一の2表の昭和五〇年七月期分の更正に係る「当該処分等により納付すべき法人税額」欄のとおり八一二万一九〇〇円となり、原告は過少申告していることとなるので、右と同様に被告が同法人税額に一〇〇分の五を乗じた四〇万六〇〇〇円に相当する過少申告加算税を賦課決定したことは適法である。

(三) 昭和五一年七月期分

昭和五一年分更正についても右と同様に適法にされたものであるから、これにより原告が新たに納付すべき法人税額は別紙一の3表の昭和五一年七月期分の更正に係る「当該処分等により納付すべき法人税額」欄のとおり、三三三七万八〇〇〇円となり、原告は過少申告していることとなるので、右と同様に被告が同法人税額に一〇〇分の五を乗じた一六六万八九〇〇円に相当する過少申告加算税を賦課決定したことは適法である。

四  被告主張に対する原告の認否

1  被告の主張1についての認否は、左のとおりである。

(一)については、(1)のうち別紙二の1表の<1>欄ないし欄記載の各金額は認め、<1>6欄なし<1>8欄記載の各金額は争う。(2)のうち<1>の冒頭の金額は争う、(ア)の事実は認め(イ)の冒頭の金額は争う、a、bの各金額は認めるが、cの金額は争う。<2>ないし<5>については、<4>は認め、その余は争う。別紙三の1表のうち2、5、6、7、10、11、19の各金額は認め、仮に被告主張の本件再更正が正当であるとしたならば、右計算のとおりとなることは認める。

(二)については、(1)のうち別紙二の2表の<1>欄ないし<9>欄記載の各金額は認め、<10>欄、<11>欄記載の各金額は争う、<1>2欄ないし<1>4欄記載の各金額は認め、<1>6欄記載の金額は争う。(2)のうち<1>の冒頭の金額は争う、(ア)の金額は認め、(イ)の冒頭の金額は争う、aの金額は認め、bの金額は争う。<2>ないし<5>については、<4>は認め、その余は争う。別紙三の2表のうち5、6、9、10、18の各金額は認め、仮に被告主張の本件更正が正当であるとしたならば、右計算のとおりとなることは認める。

(三)については、(1)のうち別紙二の3表の<1>欄ないし<3>欄記載の金額は認め、<4>欄、<5>欄記載の金額は争う、<6>欄ないし欄記載の金額は認め、<1>2欄記載の金額は争う。(2)のうち<1>の冒頭の金額は争う、(ア)の金額は認める、(イ)のうち冒頭の金額は争うが、(ⅰ)の金額は認め、(ⅱ)の金額は争う。<2>ないし<5>については、<4>は認め、その余は争う。別紙三の3表のうち2、5、6、9、10、18の各金額は認め、仮に被告主張の本件更正が正当であるとしたならば、右計算の通りとなることは認める。

2  同2についての認否は、左のとおりである。

(一)の事実は認める。但し、原告の設立の趣旨、目的並びに関係各子会社の設立の目的及び経緯については後記原告の反論1のとおりである。

(二)ないし(四)の各事実は認める。

(五)のうち、旧委託契約に保証金預託条項が在すること、右保証金について、原告はこれを未収入金に計上し、関係各子会社はこれを未払金に計上する経理処理をしたこと、借入金に対し年利率一〇パーセントの支払利息を費用の額又は収益の額に各算入していることは認めるが、その余の主張は争う。

(六)の主張は争う。原告が関係各子会社から旧委託契約による保証金の預託を受けなかつた理由は後記原告の反論3のとおりである。

3  同3についての認否は、左のとおりである。

(一)の事実は認める。

(二)のうち、大分店の建物は原告が住友生命から借り受けたものであること、原告が昭和四九年七月期中に右建物の賃借料として住友生命に支払つた金額が四五九〇万円であること、原告が大分クラブから収受した同年度分の家賃相当部分の金額は三四四八万六五四〇円であること、原告が同クラブに対して支払いを免除した地代相当部分の金額は一一四一万七六二五円であることは認めるが、その余の主張は争う。

(三)の事実は認める。

(四)の主張は争う。

4  同4についての認否は、左のとおりである。

(一)のうち、旧委託契約における賦課金の算定基準が合理的なものであるとの主張は争うが、その余の事実は認める。

(二)の事実は認める。

(三)、(四)の各主張はいずれも争う。

5  同5の(一)ないし(三)の各主張は、いずれも争う。

五  原告の反論

1  関係各子会社設立の趣旨、目的と社債の発行の経緯について

(一) 法華倶楽部創業の趣旨・経緯と特定借入金について

原告は、日蓮宗の布教師であつた創業者小島愛之助が、永年にわたる全国巡講の体験と各地の信者の要望とから信者の参拝のための宿泊をはじめとする旅行者のための安価、良質かつ安心できる宿泊施設を提供し、その事業の場を通じて法華教の教えを生かそうと決心し、布教の先々で寄進を仰ぎ一口二五円宛の借受けをなし、一府七県にわたり一年半を費して歴訪の末、六〇〇〇円の資金を集め大正九年京都駅前に旅館法華倶楽部を開設したのを創業の嚆矢とする。

爾来右設立趣旨に共鳴した全国の日蓮宗寺院信徒より多額の出資金が寄せられ、事業経営資金とされてきたものであるが、原告においては右出資金の経理処理方法につきこれを特定借入金と称し処理してきた。

(二) 関係各子会社設立の趣旨目的と社債の発行について

ところが、右特定借入金に対する利息につき、従前その性質をめぐつて相異なる見解があり税務当局においてもその課税徴収方法につき態度が不明確であつたが、ようやくこれは消費貸借金に対する確定利息であるので、配当等とは異り源泉徴収手続ができず、したがつて雑所得として申告する他ないとの見解が示された。

ところが、出資者の立場よりすれば、特定借入金の利息につき一々雑所得として申告納税することは煩に堪えず、あるいはその結果申告洩れの発生により多大の迷惑を蒙るおそれがあり、是非とも源泉徴収によつて税金を納入する方法をとられたいとの強い要望がなされたので、原告としてはこれに応えるため特定借入金を漸次利息につき源泉の徴収可能な社債又は株式に転換せざるを得なくなつたのである。

そのため原告としては、数次にわたり株式配当及び払込増資を行い社債発行限度枠を増加させてきたが、二〇億円近い特定借入金につき原告のみによる右のような転換はとうてい困難であり、そのため子会社を設立してその発行する社債に転換することとしたものである。

(三) 関係各子会社の設立について

右のような趣旨目的から、原告は、新規店舗の開設にあたり子会社を設立し、その発行する社債をもつて特定借入金の転換を図ることとした。

そこでまず、大分店、広島店を開設するにあたり、原告の全額出資により昭和四八年三月一六日大分クラブ(資本金一億円)、同年八月一五日広島クラブ(資本金二億円)を設立し、また従前から経営する鹿児島店についても同様に原告の全額出資により昭和四九年二月一五日鹿児島クラブ(資本金七〇〇〇万円)を設立した。

(四) 関係各子会社による社債発行とこれによる調達資金の運用について

関係各子会社が社債を発行するに際しては、原告の特定借入金の返済金をそのまま関係各子会社発行の社債への払込みに充て、特定借入金の社債への転換を図る方法がとられた他、新規に社債の払込みがなされることもあつた。

右社債の発行条件は、おおむね利率年八・七三八ないし一〇パーセント、償還期限三年ないし五年とされたものである。

しかして、関係各子会社より右社債の発行によつて調達された資金は、すべて親会社である原告がこれを運用するものとされ、そのため関係各子会社より原告が借入をなし、これに対し関係各子会社が社債権者に対し支払うべき社債の利息に相当する額を、原告より関係各子会社に利息として支払うこととされていたものである。

したがつて、原告の関係各子会社からの借入金及び利息の支払いの実質的内容は、特定借入金に代えて関係各子会社発行の社債によつて調達した資金の原告による運用とこれに対する社債権者への利息である。

社債権者としては、関係各子会社がいずれも原告の全額出資にかかり、全くの同一体であるとの信頼を有したからこそ、原告に対する特定借入金に代え子会社発行の社債の払込みに応じたものである。

(五) 原告と関係各子会社との関係について

右のとおり、関係各子会社を設立した目的は、本来、特定借入金の社債への転換を図ることにあつたので、関係各子会社はいわゆるペーパーカンパニーとすることとしていたが、新店舗の開設と相まつて、これを新設ホテルの運営にあたる面をも併せもつ子会社とすることとしたのである。

したがつて、関係各子会社は、いずれも親会社である原告の一〇〇パーセント出資にかかる完全な子会社であり、本店所在地は、関係各子会社ともいずれも原告の本店所在地と同じであり、代表者はいずれも原告の代表者と同じであつて、その他の役員も全く共通しており、かつ、管理運営については、すべて原告の指揮統制下におかれ、実質上原告の一営業店舗にほかならないものであつた。

また、関係各子会社の設立にあたつての市場調査、立地決定、規模決定、管理者以下従業員の選定及び任免は、すべて原告の決定により行われ、一切の資金につき子会社の自己調達は認められず、全額原告からの融資によつてなされ、また、財務経理についても原告財務部の統制下にあり、関係各子会社の売上はすべて原告に納入され、子会社の経費は資金申請書により親会社より支出するものとされていた。

以上のとおり、関係各子会社の独立性は全く存しなかつたものである。

2  旧委託契約の締結とその内容について

(一) 右契約締結の経緯、事情について

原告は、右各店舗を新設するに際し、昭和四八年八月一二日付で大分クラブと、同年九月一二日付で広島クラブと、昭和四九年二月二五日付で鹿児島クラブとそれぞれ旧委託契約を締結したが、これは、次項に述べるとおり、大分クラブや鹿児島クラブの店舗等の賃貸人である住友生命や取引先、金融機関等に対する信用の維持のため、契約面における外形、体裁を整える意味からしたものにすぎない。

(二) 旧委託契約に定める保証金預託条項は例文であり、法的拘束力をもたないことについて

(1) 旧委託契約上、原告は営業開始日に大分クラブから三五四〇万円、広島クラブから一億一〇四五万七三〇〇円、鹿児島クラブから三六三〇万円合計一億八二一五万七三〇〇円を保証金として無利息で預託を受けるものとされているところ、右に定める各保証金の額は、大分クラブについては建物及び内部造作設備一式の賃貸人である住友生命に原告が差し入れた敷金に相当する額であり、広島クラブについてはその店舗が原告の所有であることから、土地建物の取得費から大分クラブの場合と同様の算定方法を用いて算出した金額に相当する額であり、鹿児島クラブについては建物賃貸人である住友生命に原告が差し入れた敷金相当分に原告が設置し所有する内部設備の工事費を加えた額に相当する額である。

(2) しかしながら、右契約中の保証金預託は委託をなすにつき通常行われる形式をそのまま踏襲したものであつて、これは、もともと、住友生命をはじめとする取引関係及び金融機関に対する信用を維持するため、契約面での体裁を整えたものにすぎないのである。

右保証金預託条項に定める内容は、原告と関係各子会社間におけるように一〇〇パーセント持株所有の親子会社間においては本来適合せず、しかも、右のとおり、原告が関係各子会社の事業の管理運営の一切を支配統制し、利益、損失は最終的には原告に帰属し、関係各子会社の発行する社債によつて調達した資金はすべて原告が借り入れて運用し関係各子会社が使用することは認められていないという形態の下においては、原告が関係各子会社に対しかかる巨額の保証金を預託させる必要性もなく、合理的な根拠や確たる見通しも欠くものなのである。

このように右保証金預託条項は、当事者間においてこれを履行する意思を有せず、形式上記載されたもので、法律上の効力のないいわゆる例文にすぎないものである。

そうであればこそ、原告は昭和四九年六月二八日の取締役会において、保証金の預託を受けないことを決議し、右保証金預託条項を無効としたうえ、原告と関係各子会社との間で旧委託契約に代え新委託契約を締結し、右新委託契約中には保証金預託条項を設けなかつたのである。

このように以後保証金の預託がなくなつたとしても当事者間において不都合を生じるものでもなく、また、当事者の一方に負担を蒙らせるものでもないので、税務当局も右処置を是認していた。

通常の契約当事者間において、保証金の預託条項を設けないということはあり得ず、ましてや従前存した保証金の預託条項を更新に際して削除するなどということはあり得ないところであるから、新委託契約において保証金預託条項を設けなかつたこと自体、旧委託契約における保証金委託条項が本来不必要かつ無意味であり、例文にすぎなかつたことを明示するものである。

(三) 昭和四九年六月二八日の取締役会決議について

なお、原告は昭和四九年六月二八日の取締役会において、保証金の預託を受けないことを決議し、右保証金預託条項が実質上空文であり、拘束力のないことを確認している。したがつて、少くとも右時点以降においては旧委託契約の右条項は効力を失つたものということができる。

なお、被告は、原告が昭和五一年七月三一日まで保証金の未収入金額と長期預り金額の相殺処理をしなかつたことをもつて右決議の存在に疑念をはさむようであるが、それは、経理担当者が両建てであつたためそのまま見過ごして失念したまま経理処理をしていたところ、昭和五一年二月の東京国税局の調査によりその点を指摘されはじめて帳簿上の処理が遅延したことに気付き、同期末の昭和五一年七月三一日においてこれを相殺処理するに至つたものであり、この点は、原告の会計上の処理の不手際や遅怠によるものである。

3  本件各保証金を未収とした措置について

(一) 原告が、旧委託契約に保証金預託条項があつたのにもかかわらず、保証金を未収とした理由は、右2(二)記載のとおり、右保証金預託条項は当事者間に法的効力の存しない単なる例文にすぎなかつたためであるが、仮にこの点を措くとしても、関係各子会社としては当時到底これを原告に対し預託し得る状況にはなかつたのである。

すなわち、当時関係各子会社としては、経済界一般の不況に加え、その各営業地における地域的な不況及び競業他社による同種ホテルの乱立により、当初の目論見に反し極度に業績が低下し、すでに資本金食い込みの状況に陥つたものである。

かかる状況の下においては、たとえ当事者に保証金預託条項を実行する意図があつたとしても、関係各子会社が保証金を原告に預託することは不可能であつた。

また、関係各子会社において、右保証金を準消費貸借として借入金とし、これに対し利息を支払うことも不可能であつた。仮に原告が関係各子会社に対し、保証金を貸付金としてこれに対する利息を徴収したならば、関係各子会社としては利息の支払いをなし得ないことはもちろん、これを未払利息として計上した場合には、いずれも資本金に食い込む赤字の発生により、その経営状態は悪化の一途をたどる他なく、倒産必至の状態に陥らざるを得なかつたものである。

以上のとおり、保証金預託条項どおり保証金を納入委託することは関係各子会社としては不可能であり、仮に保証金を預託し、あるいはこれを借入金として利息を支払うこととするならば、関係各子会社の経営は極度に困難となり倒産に追い込まれ、これは直ちに原告それ自体の存立に重大な危機をもたらすことが必至であつたのである。

(二) ところで、被告は、原告が保証金を未収入金に計上して受け入れず、関係各子会社から借入を受け、これに対し年利率一〇パーセントの利息を付したことをもつて、原告に不利益な取引であり、合理的経済人の見地から通常なし得べくもないものであると主張する。

しかしながら、被告の右主張は、原告と関係各子会社間の特殊な関係及び原告における特定借入金の形成の過程と実情とを理解していないことによる諺論にすぎない。

すなわち、前記のとおり、関係各子会社は、原告が特定借入金に代えて社債を発行するために設立したせのであつて、原告の特定借入金から関係各子会社の社債に振り替えられた資金は、子会社から原告に対する借入金とすることによつて本来の使途に運用されるものである。

したがつて、原告が関係各子会社から受け入れた借入金の源泉は、もともと原告が日蓮宗寺院及び信徒から預託を受けた特定借入金そのものであり、原告の関係各子会社からの借入金は、原告による寺院信徒からの直接の特定借入金に代わり子会社の社債発行を経由して受け入れたことになるのであるから、本来原告の運用の目的にのみ供されるべきものであり、子会社からの借入れの形式をとるものの、その実質は原告がこれをすべて運用するものである以上、これに対する利息は子会社を通じて社債権者に対する利息として支払われねばならないものである。

もともと、原告が特定借入金に代わるべき関係各子会社発行の社債による借入によつて、運用利益を享受し、しかもその社債権者は子会社即原告として同一体であるとの認識に立つものである以上、原告が社債権者に対する利息の支払相当分として借入金につき利息を支払うことは、当然である。

また、関係各子会社の発行する社債は、社債権者の原告に対する信頼の裏付けによつて引き受けられているものである以上、関係各子会社において社債権者に対し利息を支払うことが不可能になれば、関係各子会社の信用が損なわれるばかりでく、原告自身も重大な危機に陥ることになる。

右のとおり、保証金は借入金とは性質を異にしており、保証金を未収としたことと、原告が借入れをしていることとは無関係であつて、保証金の未収が存するからといつて、借入金に対する利息を支払わなくてよいということにはならないのであるから、被告の主張は失当である。

(三) 更に、仮に関係各子会社において利息を生ずべき貸付金の代わりに無利息の保証金を納入預託したとするならば、その場合関係各子会社の収益は利息収入分だけ減少することとなるので、関係各子会社の経営を存立させるためには原告としては当然右減少分に相当する賦課金の減額あるいは長期無利息融資などなんらかの措置をとらねばならないことになる。そうだとすれば、右両者間には単に勘定科目の差異が存するだけのことであり、要はどのような措置をとるとしてもそれは子会社の存立のため実質的に必要な措置であるという点において同一のことに帰着する。

その場合、いずれの方法をとるにせよ、関係各子会社の業績不振による欠損金の累積による経営困難の事態を回避するために必要不可欠な措置が要請されざるを得ないのであつて、右事態に対処するため保証金の未収によるか賦課金の減額免除によるかあるいは長期無利息融資によるのか、いかなる措置をとるのが適切妥当なのかというその手段方法の選択の問題にすぎないのである。

要するに、当該措置の合理性については、子会社の業績不振による倒産防止のため実質的に必要なものであるか否かによつて判断すべきであるのに、被告はかかる実質的な内容につきなんら検討せず、単に無利息の保証金を納入せずに利息付きの貸付金としたことが不合理とするのであつて、これは単なる形式論にすぎないといわざるを得ない。

4  大分クラブの地代相当部分の賦課金の免除について

原告と大分クラブとの間の旧委託契約によれば、大分クラブは原告に対し地代相当額、家賃相当額及び売上スライド部分を賦課金として毎月支払うべきものと定められていたが、昭和四八年一一月一五日付覚書をもつて、同月一六日から昭和四九年七月三一日までの間の地代相当部分一一四一万七六二五円の支払を免除するという形で減額改訂をした。

右地代相当部分の免除の理由については、後記5のとおりであるが、要は経済情勢の急変と事業計画の予測の誤りによつて、開業前約半年以前に作成した計画見積りにより算出された賃料額の支払いが不可能であることが判明したため、予めその減額措置を講じたものなのである。

しかしながら、右減額改訂にもかかわらず、昭和四九年七月期において、原告は、大分クラブから家賃部分として三四四八万六五四〇円、売上スライド部分として一七〇一万四九二二円の合計五一五〇万一四六二円を収受しており、これは原告が住友生命に支払つた建物の貸借料四五九〇万円を超える金額であり、地代相当部分の免除という減額改訂がされたものの、原告が受けた賦課金の額は客観的に相当額なのであつて、もとよりこれにより原告の著しい犠牲において大分クラブに多額の利益が帰属したなどということができないことはいうまでもない。

原告が収受した右賦課金額は改訂当時における経済情勢一般、大分クラブの経営状態及び契約内容からみると、合理的かつ客観的に相当なものであつて、何ら不合理な取引に当たらないものである。

5  本件各保証金を未収とし、かつ、大分クラブに対する地代相当部分の賦課金の減額改訂をなした理由及び必要性について

本件各保証金を未収とし、かつ、大分クラブに対する賦課金の一部減額改訂をした理由及びその必要性は、当時における経済情勢の急変に伴う一般の不況に加え関係各子会社の営業地における地域的な不況と競業他社による同種ホテルの乱立による過当競争の激化により、当初の起業目論見に反し、極度に業績が低下し、開業時においてすでに経営困難が確実視されていたことによるものであるが、以下、この点について関係各子会社ごとに述べる。

各クラブにおける当初の業績の予想とその実績について各クラブにおける会社設立ないし営業開始時より昭和五一年七月三一日に至るまでの各事業年度毎に、当初の起業目論見書における計画値と実績値とを、売上高、宿泊人数、営業経費、飲食原価、人件費、その他、賃借料、賦課金及び当期営業利益の各科目別に対比すると別紙六ないし八の関係各子会社別の「計画実績対比表」のとおりとなる。右各表のうち計画書は、後記起業目論見書記載の数値により、実績値は決算書及び営業報告書に基づくものであり、かつ、計画値と実績値の項目の他に実績値の計画値に対する割合を示す対計画比(計画値分の実績値)の項目を設けている。

更にまたこれに加えて更正(再更正)による増差額及び更正(再更正)後の金額の項目を設けている。

なお、関係各子会社の営業地地域別に宿泊施設の需給状況について別紙九ないし一一の各所在地別の「宿泊施設需給関係図」があるが、右図中各県「立地動向推移の伸び率」は企業の地域進出状況を示すもので通商産業省立地公害局立地指導課の資料により、各市内「宿泊客数」は各市観光課の資料により、各「鉄道管理局旅客輸送状況」は日本国有鉄道各管理局の資料により、各「市ホテル室数」は厚生省衛生行政業務報告により、各クラブ「計画宿泊客数」及び「実績宿泊数」は前記対比表によるものである。

(一) 大分クラブについて

(1) 大分クラブの開設計画樹立にあたつては、その数年前から大分市内における宿泊施設の需給状況及び将来推計、宿泊客の質的調査及び将来推計等の調査が行われ、右調査結果を総合した市場調査報告書が作成され、これを基礎資料として昭和四七年五月三一日付をもつて起業目論見書が策定され、これが大分クラブの開設計画の基本となつた。

右市場調査報告書及び起業目論見書によれば、昭和四五年に政府で閣議決定された大分新産業都市計画の進展に伴う基幹産業を中心とする大企業の大挙進出により大分市内における宿泊客の大幅な増加が見込まれ、他方これに対する大分市内における宿泊施設は質、量ともに貧弱であることから当初より順調な営業成績をあげるものと予測されていた。

すなわち、右起業目論見書によれば、別紙六の第二期計画値欄記載のとおり予想計画値として開業当初の昭和四八年一一月一六日から昭和四九年七月三一日までの事業年度(第二期)において宿泊人数五万四一〇五名、売上高一億九五一二万九〇〇〇円、営業経費一億五四三二万円、営業利益四〇八〇万九〇〇〇円を見込み、これに対する賦課金を二一〇七万三〇〇〇円としていた。

しかして、右起業目論見書によれば、右初年度(第二期)とこれに続く第三期、第四期の各事業年度においても、その宿泊人数、売上高、営業経費及び当期営業利益は、同表第三期、第四期の各計画値の各該当欄記載のとおり見込まれていた。

そして、昭和四八年八月に作成された旧委託契約における賦課金の額を算出する方法及び率は、右目論見書における計画値と昭和四八年前半における好況とを勘案した業績予想の下にはじめて支払いが可能なものとして定められたものであつた。

(2) しかるに、昭和四八年一〇月六日第四次中東戦争が勃発し、これに伴いオイルシヨツクによる深刻な経済不況が襲来したため、右新産業都市計画は全面的に頓挫し、大分市に一大工業圏建設を予定していた新日鉄、三井造船をはじめとする大企業の進出もほとんど棚上げの状態となり、これに伴い右進出予定企業群関係者の大分市における宿泊客の増加は全く望めず、かかる進出予定企業関係者の大量宿泊を予想して立てられた大分市の宿泊客人員の増加見込は画餠に帰したのである。

この間の事情のうち、まず企業進出状況については別紙九の「大分市宿泊施設需給関係図」中の「大分県立地動向推移の伸び率」線により、大分市の宿泊客人員の増減状況については右図中「大分市内宿泊客数」により、右宿泊客の増減状況を判断する資料でありかつこれを左右する起因ともなる鉄道旅客輸送状況については右図中の「大分鉄道管理局旅客輸送状況」線によりそれぞれ見るならば、いずれも起業目論見書作成の昭和四七年五月末時点では著しい上昇傾向を示していたのにかかわらず、いずれも昭和四八、九年中に頭打ちとなり以後急激に下降減少しているものであることが明らかに窺えるのである。

これに加え、別紙九中の「大分市ホテル室数」線のとおり大分市における宿泊客の増加を見込んで、同業他社による大分市内のホテルの新増設が相次ぎ、その結果一挙に市内ホテルの宿泊施設は二倍以上となるにいたり、甚しい供給過剰の状態に陥ることが、すでに開業時以前より明らかとなつていた。

そのため大分クラブにおいてはすでに開業時以前より当初の建設計画樹立時における予想宿泊人員をはるかに下まわる宿泊人数に激減することが確実と見られるにいたつたものであり、開業後の宿泊人数は予想人員を大幅に割り込んでおり、いわば開店休業にも等しい状態が続いていたものなのである。右の状況は別紙九中の「大分法華クラブ計画宿泊客数」線と「大分法華クラブ実績宿泊客数」線を対比すれば明瞭であり、実績宿泊客数は計画宿泊客数をはるかに下まわつているのである。

かかる状況下において開業以後の各事業年度における宿泊人数、売上高、営業経費及び当期営業利益の各実績は別紙六の第二期ないし第四期の各実績値の各該当欄記載のとおりであり、右各実績値を各計画値と対比したものは同別紙の第二期ないし第四期の「対計画比」欄記載のとおりである。

右の対比から明らかなとおり、当初の計画案に対し営業実績は宿泊人数については開業後の三事業年度にわたり六〇パーセント台に止まり最低は四九・一パーセントから五一・二パーセントという計画値の半分という実績値であり、これに伴い売上高についても八〇・七パーセントを最高に六二・九パーセントを最低として六〇パーセント台を低迷しているにかかわらず、営業経費は一二〇・三パーセント及び一一一・一パーセントから最低でも八七・九パーセントという高率を示しているのである。

かかる営業実績の結果として、営業利益の点において実績値は計画値に比し著しく低下しその間に甚しい乖離を生ずるに至つたものなのであり、営業損失の増大が継続していたものである。

(3) 以上のように、当初の起業目論見書作成当時においては、宿泊客人数の大幅な増加を見込み順調な営業成績を上げるものと期待し、かかる予想に基づいて賦課金が算出されたのに、全く予想もされなかつた昭和四八年一〇月の石油危機により経済情勢が急変し、特に大分市は地域的不況にみまわれた。このため開業前の昭和四八年一一月ころには、大分市の宿泊人数の減少と大分市におけるホテル宿泊施設の乱立から、大分クラブにおける宿泊人数が予想より大幅に減少すること、稼動率が低下すること、これにより売上高が減少し、営業利益が極端に減少し損失の増大することがもはや必至とみられるに至つた。

したがつて、一年以上前に立てられた起業目論見書に基づき見積もられ、かつ、契約条項中に定めされた賦課金をそのまま維持して全額納入させることは不可能であり、もし仮にこれをなしたとするならば、大分クラブはかかる過大な額の徴収によつて直ちに経営困難に陥り倒産状態にいたることは必至と見られる状態であつた。そのためかかる破局的事態の到来を回避しようとの目的から、開業前日においてその一部を減額改訂することとしたのである。

果たせるかな、開業後における営業成績は正にさんたんたるものであつて、右のごとき賦課金の一部減額改訂の措置を講じたのにかかわらず、その営業損失の増大累積は右のとおり巨額な数字に達したのである。

(4) このように賦課金額が過大であり到底その負担に耐えないことが開業前においてすでに判明した以上、当事者の合意によりこれを事情の推移に即した合理的な金額に減額改訂することは、極めて当然のことである。

このことは、建物賃貸人である住友生命と原告との間で昭和四七年八月二二日に締結された建物賃貸借契約において定められた賃借料につき、その後の経済情勢の変動、賃借人の業績、負担能力等を考慮して昭和五二年七月期分を一〇〇〇万円、昭和五三年七月期分を一五〇〇万円各減額改訂したことと全く事情を一にするものである。開業一年以前の調査資料に基づき算出された賦課金がその後の事情の急変により過大であり到底負担に耐えないことが明白となつた以上、当事者の合意に基づき合理的な額に減額改訂し得ることは当然のことである。

(5) 以上と全く同一の理由に基づき、大分クラブとしては原告に対し保証金を預託し得る状況にはなく、原告において関係各子会社の存立維持を図りその倒産を回避するためには、これを未収とする以外他に方途は存しなかつたものである。

このことは、別紙六の計画実績対比表における各事業年度の実績値から明らかであつて、毎期巨額の営業損失を生じている状態にあつては、三五四〇万円もの保証金を預託し得るなどとは到底考えられない。

(6) 仮に被告主張のように、未収の保証金に利息を徴収し、かつ、賦課金に何らかの減額改訂をなさなかつた場合に、大分クラブの営業状態は別紙六の各期の「更正増差額」及び「更正後の額」の各項目のとおりとなるはずである。

これを各実績値と対比すれば明らかなとおり、被告主張のとおり利息の徴収と当初の額の賦課金の徴収とをなしたとするならば、その場合における営業損失は巨額に上り、すでに開業後の二事業年度にして資本金を超過する累積欠損金が生じ、かくては昭和五三年四月に予定されている社債の借換発行が不可能となることはもとより、その資産状態、資金繰りは悪化の一途をたどる他ないのである。

そうだとすれば、原告のなした前記措置は、正に大分クラブの倒産を回避し、その連鎖反応による原告自身の倒産をも未然に防止するためになされた当然かつやむを得ざるものであつたといわねばならない。

(二) 広島クラブについて

(1) 広島クラブの開設計画にあたつては、その数年前から広島市内における宿泊施設の需給状況及び将来推計、宿泊客の質的調査及び将来推計等の調査が行われ、右調査結果を総合した市場調査報告書が作成され、これを基礎資料として昭和四七年八月二四日付をもつて起業目論見書が策定され、これが広島クラブの開設計画の基本となつたものである。

右市場調査報告書及び起業目論見書によれば、広島駅及び広島空港の乗降客が激増しこれに伴い広島市内における宿泊客の大幅な増加が見込まれ、他方これに対する広島市内における宿泊施設はかねてより質、量ともに貧弱であり慢性的に宿舎不足の状態にあり将来も全般的な供給不足であるとの見とおしを立て、これと宿泊客の飛躍的な増加の予想と相まつて、当初より順調な営業成績を上げるものと予測されていた。

前記起業目論見書による開業後の予測営業成績は、別紙七の「計画実績対比表」中の各期の計画値の項目の各科目記載のとおりであり、宿泊人数、売上高、営業経費及び営業利益につき予想された計画値は右各欄記載のとおりであつた。

(2) しかるに、右計画時には予想されなかつた昭和四八年秋のオイルショックによる深刻な経済不況のため観光客は減少し他方東洋工業、三菱造船等地元企業の業績不振は広島市における宿泊客数の動向にも重大な影響を与え、宿泊客は増加の予測とは逆に減少するに至つたものである。

この間の事情のうち、まず企業の進出状況については別紙一〇の「広島市宿泊施設需給関係図」中の「広島県立地動向推移の伸び率」線により、広島市内の宿泊客数の増減状況については右図中の「広島市内宿泊客数」線により、右宿泊客数の増減状況を判断する資料でありかつこれを左右する起因ともなる鉄道旅客輸送状況については右図中の「広島鉄道管理局国鉄旅客輸送状況」線により明らかなように、企業の進出と旅客の輸送状況は昭和四八年、広島市内の宿泊客数はこれにより若干ずれて昭和四九年をそれぞれピークとし、以後急激に落込んでいることが窺えるのである。

これに加えて、別紙一〇中の「広島市内ホテル室数」線のとおり、広島市における宿泊客の増加を見込んで、同業他社による広島市内のホテル新増設が相次ぎ、その結果一挙に市内ホテルの宿泊施設は需要を無視して急増するに至り供給不足は一転して甚しい供給過剰の状態に陥つてしまつたのである。

かかる状況において、広島クラブが予想計画どおりの営業成績を上げることは早晩困難になると予想された。

果たせるかな開業後第一期においては、不況の地域的時間差もあり宿泊人数の実績値において計画値を辛うじて達成できたものの、昭和四九年一一月ころからは減少傾向が顕著となり、第二期、第三期と進むにつれ宿泊人数の減少は急激となり特に第三期に至つては宿泊人数の対計画値の比は五三・七パーセントにまで低落し、人数の絶対値も極端に減少したのである。

右の状況は、別紙一〇中の「広島法華クラブ計画宿泊客数」線と「広島法華クラブ実績宿泊客数」線とを対比して見るならば明らかであり、開業当初には実績値が計画値を上まわつたものの、その後は急激な減少を示しているのである。

かかる状況下において広島クラブの各事業年度における宿泊人数、売上高、営業経費及び営業利益の各実績値は、別紙七中の各期の実績値の項目の各科目に記載のとおりであり、右実績値と前記計画値との対比は別紙七中の各期の「対計画比」の項目の各科目に記載のとおりである。

右の対比から明らかなとおり、当初の計画案に対し営業実績は、宿泊人数、売上高については開業事業年度こそ計画値を若干上まわつたものの次年度以降甚しい落込みの様相を呈しており、これに対する営業経費は当初より計画値をはるかに上まわつている。

かかる営業実績の結果として、営業利益の点において、右計画実績対比表中営業利益の科目の各期計画値と実績値とを対比すると明らかなごとく、実績値は計画値に比し甚しい乖離を生ずるに至つたものである。

(3) 以上のような状況下においては、前記の大分クラブと全く同様の理由から、広島クラブとしては保証金を預託することは到底不可能な事情にあつた。

仮に被告の主張するように未収の保証金に利息を徴収したとするならば、いかなる事態がもたらされることになるかについても、別紙七中の各期の「更正増差額」及び「更正後の額」の各項目によれば、巨額の欠損金の累積によつて資産状態が悪化することは明らかである。

かくては、広島クラブの資産状態は悪化の一途をたどるのみであり、その結果としての倒産のもたらす連鎖反応は原告の存立自体にも重大な脅威を与えることは当然であり、かかる措置をとることは、合理的な経済人としては考えられないといわざるを得ない。

(三) 鹿児島クラブについて

(1) 鹿児島クラブは、原告が昭和四六年九月六日から開業経営する鹿児島支店につき、原告の全額出資により昭和四九年二月に設立したものである。

ところで、右鹿児島支店開設計画にあたつては、昭和四五年当時から鹿児島市内における宿泊施設の需給状況及び将来推計、宿泊客の質的調査及び将来推計等の調査が行われ、右調査結果を総合した市場調査報告書が作成され、これを基礎資料として、昭和四五年四月一二日付をもつて起業目論見書が策定され、これが右鹿児島店及びこれを承継した鹿児島クラブの開設計画の基本となつたものである。

右市場調査報告書及び起業目論見書によれば、鹿児島市内に宿泊する観光客は大幅な増加が見込まれるのに対し、他方これに見合うべき鹿児島市内の宿泊施設は貧弱かつ不足しており、当初より順調な営業実績を示し得るものと予測されていた。

前記起業目論見書による開業後の予測営業成績は、別紙八の「計画実績対比表」中の各期の計画値の項目の各科目記載のとおりであり、宿泊人数、売上高、営業経費及び営業利益につき予想された計画値は右各欄記載のとおりであつて、これに対する昭和四六年九月原告鹿児島支店として開業後の初年度及び第二年度においてはほぼ右計画値どおりの実績値を上げることができたのであつた。

(2) しかるに第三年度の昭和四八年秋ころよりオイルシヨツクの影響による経済不況の到来と家計の引締めにより観光関連の事業は甚大な影響を受けるに至つた。

鹿児島クラブにおいても右の経済不況による影響は、昭和四八年秋ころより出はじめ宿泊客も減少傾向を示すに至つた。

この間の事情のうち企業の進出状況については別紙一一の「鹿児島市宿泊施設需給関係図」中の「鹿児島県立地動向推移の伸び率」線により、鹿児島市内の宿泊客数の増減状況については右図中の「鹿児島市内宿泊客数」線により、右宿泊客数の増減状況を判断する資料でありかつこれを左右する起因ともなる鉄道旅客輸送状況については右図中の「鹿児島鉄道管理局国鉄旅客輸送状況」線により明らかなように、企業の進出も鹿児島市内の宿泊客数もまた旅客の輸送状況もいずれも昭和四八年ないしそれ以前をピークとして以後激減していることが窺われるのである。

加えて、別紙一一中の「鹿児島市内ホテル室数」線のとおり宿泊客の増加を見込んで同業他社による鹿児島市内のホテルの新増設ラツシユにより市内ホテルの宿泊施設は昭和四八年ころにより激増するに至りたちまち供給過剰による過当競争を現出することとなつたのである。

そのため鹿児島支店当時の昭和四八年四月ころより宿泊客数は減少の傾向を示し、これに引続く昭和四八年八月一日よりの第三年度において、すでに宿泊人数の実績値は計画値を下まわりはじめ、この傾向は鹿児島クラブ発足の昭和四九年二月一日以降一層顕著となり、右鹿児島クラブの第一期においてはすでに宿泊人数の絶対値そのものさえ前記に比べ減少し、以後いよいよ極端な減少傾向を示すにいたつたのである。

右の状況は、別紙一一中の「鹿児島法華クラブ計画宿泊客数」線と「鹿児島法華クラブ実績宿泊客数」線とを対比して見るならば明らかであり、昭和四八年を境として実績宿泊客数は計画宿泊客数をはるかに下まわり減少の一途をたどつていることが看取できるものである。

かかる状況下において、鹿児島クラブにおける昭和四九年二月発足以後の各事業年度における宿泊人数、売上高、営業経費及び営業利益の各実績値は、別紙八の「計画実績対比表」の中の「(株)鹿児島法華倶楽部」の、これに先立つ鹿児島支店当時の各実績値は右表中の「(株)法華倶楽部鹿児島支店」の各期の実績値の項目の各科目に記載のとおりであり、右実績値と前記計画値との対比は、右表中各期の「対計画比」の項目の各科目に記載のとおりである。

右の対比から明らかなとおり、当初の計画案に対し営業実績は鹿児島クラブの開業当初より宿泊人数につき落ち込みの傾向にあり、第一期においてすでに九三・三パーセントとなつていたのが第二期においては六一・六パーセント、第三期には五六・七パーセントにまで低落しこれに伴い売上高も同様の傾向を示しているにかかわらず、営業経費は開業当初より計画値をはるかに上まわり、最高一六六・一パーセントにまで及んでいる。

かかる営業実績の結果として、営業利益の点において、右の「計画実績対比表」中の営業利益の科目の各期計画値と実績値とを対比すると明らかなごとく、欠損こそは生じなかつたものの計画値の一〇ないし二〇パーセント前後に過ぎず、実績値と計画値との間に甚しい乖離を生じているのである。

(3) 以上のような状況の下においては、前記の大分クラブと全く同様の理由から鹿児島クラブとしては保証金を預託することは、到底不可能な事情にあつた。

(4) 仮に被告の主張するように未収の保証金に利息を徴収したとすれば、いかなる事態がもたらされるかについても、別紙八中の各期の「更正増差額」及び「更正後の額」の各項目によれば、巨額の赤字が累積し、到底返済困難な過大負債を負う結果となることは明白である。

かくては鹿児島クラブの資産状態は悪化の一途をたどるのみでありその結果としての倒産のもたらす連鎖反応は原告の存立自体にも重大な脅威を与えることは当然であり、かかる措置をとることは、合理的な経済人としては考えられないといわざるを得ない。

(四) 以上から明らかなとおり、当初の起業目論見はすべて各地域における宿泊客の増加と宿泊施設の貧弱なことから旺盛な宿泊需要を予測して立てられ、これにより賦課金の額、営業利益等も見積もられたのであつた。

しかるに、その直前まで何人にも夢想だにされなかつた昭和四八年一〇月六日の第四次中東戦争の勃発に伴うオイルシヨツクによる一般的な経済不況に加え、大分、広島、鹿児島は特に激しい不況の波に襲われたため、前記予測は根底から覆されるにいたつた。折しも大分クラブは同年一一月一六日、広島クラブは同年一〇月八日、鹿児島クラブは昭和四九年二月一日、それぞれ開業する運びとなつていたところ、右不況の襲来は各店の営業に対し大打撃を与えることが予想されていた。しかも、同業他社によるホテルの乱増設により一挙に各地域の宿泊施設は倍増し、これに対する宿泊客の減少と相まつて、著しい供給過剰とこれによる過当競争の現出が避け難い情勢にあつた。その結果としては、前記のとおりの甚しい業績不振と経営状態の悪化であり、これらの事態の到来はすでに開業前より必至と見られていたのである。

かかる事態に対処するための方策が前記のとおりの賦課金の減額改訂であり保証金の未収であり、かかる措置なくしては関係各子会社は欠損金の累積発生により経営困難に陥り、かくては親会社たる原告の存立さえもが危胎に瀕することとなるのであり、かかる事態を回避するため不可欠の措置であつたといえるのである。業績不振に陥つた関連企業の救済として金融機関により貸付金に対する金利免除、減額が行われた事例は、枚挙にいとまがなくほとんどの関連企業の救済再建に当たりなされているといつてもよいが、これらはいずれも経済的合理性を有するものとして、これにつき経済的利益の供与として課税対象とされたことなど存しない。被告の主張は、実際の経済活動を無視した非現実的な議論にすぎないものである。

6  法人税基本通達九-四-二の規定の新設の趣旨及びその解釈適用について

(一) 右規定新設の趣旨目的

右規定が新設された趣旨は、親会社と子会社との間の関係の特殊性よりして、親会社は業績不振の子会社の倒産を防止するため等の理由から無利息融資が必要とされるという社会的実情をふまえて、右親会社のなす無利息融資を経済的合理性の存する正常な取引とみるものであり、これは右のごとき社会的実体を基礎とした社会通念に合致するように従来の合理的な行政解釈をあらためて確認したものである。

これは、従来往々にして右のような場合においても、例えば本件更正のごとく、親会社と子会社とは別法人であることからその間の取引を形式的画一的に判断しこれを直ちに寄付金となすという社会の実態から乖離した極めて硬直かつ不当な取扱いが見られたのに対し、かかる考え方はとらず、社会通念に適合するよう現実の企業取引の実態に即し親子会社の関係の特殊性からしてその取引について相当な理由が存する場合には正常なものとみるとする合理的な解釈をなすべきことを明らかにしたものである。

このように合理的な解釈がなされるようになつたのは、オイルシヨツク以後の数多くの企業救済の事例を経験することにより、税務行政の実務においても取引の実態とこれに基づく社会的要請とを無視することができず、事実上その解釈を改めざるを得なくなつたことが挙げられるのである。

したがつて、右規定は、現実の親子会社間の取引及び経理処理の実態に即応して社会通念に合致するよう適正妥当な取り扱いを目指し、その具体的な適用方法を例示したものであるといわねばならない。このことは、法人税基本通達の目的が「個別的事情に即した弾力的な課税処理を行なうための基準」であり、その具体的な運用にあたつては、右基本通達の前文において「法令の規定の趣旨、制度の背景のみならず条理、社会通念をも勘案しつつ、個々の具体的事案に妥当する処理を図るよう努め」ることとされていることに正に適合するものであることはいうまでもないところである。

(二) 右規定の解釈適用について

右のごとき規定の設けられた趣旨目的からすれば、その解釈適用にあたつては、あくまでも親子会社間の取引の実態に即応して社会通念に合致するか否かを判断基準とすべきものであることはいうまでもないところである。

もともと右規定は、親子会社間の企業取引の実態に即して、親会社が業績不振の子会社の救済援助のための無利息融資等の措置につき相当な理由があるものについて、これを正常な取引とみることをあらためて明示したものであり、右親会社のなす措置につきその必要性が客観的に存し合理性が存するならば、これを寄付金と見ないという合理的な解釈取扱を明文をもつて確認し、これを具体的な例示をもつて明らかにしたものである。

このことは、右規定の文言を見ても「・・・・例えば・・・・」として具体的な例示をなしていることからも明らかに窺われるところであるのみならず、さらにすすんで右規定の適用範囲においても例えば規定上は「金銭の貸付を行つた場合」とされているにもかかわらず、具体的処理に当つては単に金銭の貸付のみに止まらず家賃地代の減額免除をはじめその他の取引にも適用されると解されて居り、広く類推適用ないし類推解釈がなされているものである。

以上によつて明らかなとおり、右規定中の例示は、相当の理由のある場合あるいは必要性、合理性が客観的に存する場合の一例を示したに止まるものであることはいうまでもないところであり、これをもつて右例示の場合にのみ限定されるかのごとく解する被告の解釈は、誤りである。

(三) 親会社による業績不振の子会社に対する救済援助措置について

親子会社間の関係において、親会社によつて業績不振の子会社に対する救済立ち直りのために無利息融資ないし貸付金の利息減免、棚上げ等の措置が行われることは、極めてしばしば見受けられるところである。

その事例としては、函館ドツク、永大産業、東海観光、不二サツシユ工業、日本ドリーム観光あるいは安宅産業の場合等ほとんど枚挙にいとまないといつても過言ではない。

これらは、いずれも子会社についてはなんら法的倒産手続は行われていないものであり、もとよりこれらの事例において右利息の減免等の措置は経済的利益の供与とはなされていないものである。

これらの事例のみを見ても、税務行政の現実の運用においては多くの場合被告の主張に反して極めて柔軟かつ具体的事情に即して妥当な解釈適用がなされていることが明らかに窺えるものである。

(四) 本件に対する適用

前記規定は、本件に対しその趣旨目的に適合するものとしてこれを適用すべきことはいうまでもない。

本件保証金の未収と賦課金の減額の措置の理由と必要性については、前記のとおり、関係各子会社はいずれも保証金の預託を履行し得る状況になく、またこれに加え大分クラブにおいては賦課金の減額なくしては到底営業を続行し得る状態になかつたのであるから、右のごとき各措置は必要不可欠のものであつたのである。もし仮に被告主張のとおりの措置をとるとするならば、累積欠損の増大により社債の発行が不可能となることはもとより、再起不可能の状態に陥ることは明らかである。

このように、関係各子会社の経済的苦境を救済援助し、その倒産を回避し、ひいては親会社自身の損失の増大を未然に防止するためになした前記のような措置が相当の理由を有するものとして経済的合理性を有するものであることはいうまでもないところである。

7  新契約による割賦金について

(一) 割賦金の算定基準を改訂した合理的理由について

旧委託契約に定める割賦金については、当初の極めて楽観的な見通しの上に立ち、順調な営業成績を上げるとの予想に基づき算定見積し、かつ原告会社と関係各子会社間の特殊な関係からして著しく高額なものとしたため、これが関係各子会社に対し荷重な負担となつていたのである。

その結果、右のごとき算定基準が余りに不合理かつ不可能を強いるものでしり、これを存続するにおいては関係各子会社の経営は成り立たずに行き詰まりを来すことが明らかとなつたため、新契約においてこれを改訂し、合理的かつ実行可能なものとなしたのである。

ところで、旧委託契約による割賦金は、地上権償却費相当額、建物償却費相当額及び売上スライド部分の合計額より成つていた。

右のうち地上権償却費相当額は、借地権価額につき年利八パーセント、一〇年間償却費として算定し、建物償却費費相当額は建設費につき初年度賃料より毎年一一パーセント宛増額するものとしこれに年利八パーセント、一〇年間償却として算定し、売上スライド部分は月間純売上高に本社費賦課率(本社費÷2÷売上高予算全店合計額)を乗じた額とされていた。

これによると各関係子会社の割賦金は、別紙一二の「割賦金一覧表」(1)中第1欄及び第2欄記載のとおりとなり各関係子会社にとつては、極めて思い負担となつている。

これに対し、新委託契約における割賦金の算定基礎は、まず営業成績のいかんにかかわらず人件費は固定しているものであるから、売上高を総枠一〇〇パーセントとしこれの中に占める人件費率を控除した残額を三等分し、その一の率を売上高に乗じたものを割賦金額としたものである。

これによる各関係子会社の割賦金は同表(1)中第3欄及び第4欄記載のとおりであり、売上高に対する比率は大分クラブにおいて二三パーセント、鹿児島クラブにおいて二五・五パーセント、広島クラブにおいて二六パーセントとなつている。

ところで、各関係子会社毎の割賦金の対売上高比は、同表(1)中第2欄「対売上高比」のとおりであるが、これによつて明らかなとおり、旧委託契約に基づく昭和四九年七月期、昭和五〇年七月期における割賦金の対売上高比は、最低二八パーセントから最高四二パーセントにまで達するものであり、関係各子会社にとつては、極めて負担荷重なものであつた。

右旧委託契約による割賦金がいかに負担荷重なものであるかについては、同表(2)中「住友生命支払家賃」欄及び「差額」欄を見ても判然とするものであつた。仮にこれに被告主張のごとく保証金に利息を付し割賦金の一部免除がなされなかつたとしたならば、右「差額」と「更正決定保障利息」及び「更正決定割賦金中土地代金」の合計額である「再計上差額」欄記載のとおりの金額を、関係各子会社自らが負担しなければならないことになり、到底その負担に絶えないことは明らかと言わねばならない。

更に、同表(3)において、昭和五〇年八月一日から昭和五一年七月三一日事業年度における割賦金につき、新旧委託契約による割賦金額とその対売上高比率を示しているが、末段においては旧契約による割賦金を徴したとするならば、その場合に生じ得べき欠損金を示しているものであり、これによれば、関係各子会社は資本金に大きく食い込む欠損を生ずることとなり、到底その存続がなし得ないこととなることが明らかというべきである。

以上述べたとおり、旧委託契約による割賦金の算定時点において期首から適用する旨の合意が存していたことによるものである。

かかる合意の下に期首から適用されることが可能となつた背景事情としては、原告と関係各子会社間の割賦金授受の実態が原告において子会社のすべての売上を収納し、その代わり子会社に必要額を交付するという形態であり、子会社よりの割賦金としての納入という形をとつていなかつたことが挙げられる。したがつて、合理的な適正率の算定が可能になつたときにおいて期首からこれを適用することももとより適正かつ妥当な措置である。

このように一定期間経過後において価格なりリベートの額を定め、これを期首から適用することは、価格変動の激しい業界においては、しばしば日常的に行われているものである。

六  原告の反論に対する被告の認否

1  原告の反論1に対する認否は次のとおりである。

(一)の事実は知らない。

(二)のうち特定借入金に対する利息について、従前その性質をめぐつて相異なる見解があり、税務当局においても、その課税徴収方法につき態度が不明確であつたが、ようやくこれは消費賃借に対する確定利息であるので、配当が経営の実情に全く適合せず関係各子会社に対しとうてい負担に耐えない著しく不合理かつ過重なものであつたがため、実行不可能な状態にあつたものであるところ、これを改めて明文上改訂したものが新委託契約による算定基準となつたものである。

なお、この点につき、関係各子会社毎に旧委託契約による割賦金等を仮に引き続き維持した場合における営業の状況を税務申告決算書に基づき算出すると、別紙一三ないし一五のとおりとなり、旧委託契約を改訂することなく引き続き維持した場合においては、毎期における営業損失の増大と累積赤字によつて、関係各子会社は到底存続が不可能であつたことは明らかである。

(二) 割賦金快適の効力発生日の期首からの適用について

ところで、前記のように昭和五一年六月三〇日割賦金の算定基準の改訂がなされるとともにこれを昭和五〇年八月一年の期首より適用することとされた。

これは、右事業年度の開始当時においても算定基準の改訂が必要とされたものであるが、肝心の合理的な適正率の算定が当時の激変する経済情勢の下では甚しく困難であつたため、とりあえず暫定的に旧算定基準により、期間経過により適正率の算定が可能となつた等とは異なり源泉徴収手続きができず、したがつて、雑所得として申告する他はないとの見解が出されたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(三)のうち関係各子会社設立の趣旨、目的が原告主張のとおりであることは争うが、その余の事実は認める。

(四)のうち関係各子会社が社債を発行するに際しては、原告の特定借入金の返済金をそのまま関係各子会社発行の社債への払込みに充て、特定借入金の社債への転換をはかる方法がとられた他、新規に社債の払込みがなされることもあつたこと(但し、特定借入金の返済金が社債への払込みに充てられたのは大分クラブの一億円のみである。)、右社債の発行条件は、おおむね利率年八・七三八ないし一〇パーセント、償還期限三年ないし五年とされたこと、関係各子会社がいずれも原告の全額出資にかかることは認めるが、その余の事実は知らない。原告の主張の趣旨は争う。

(五)のうち関係各子会社が親会社である原告の一〇〇パーセント出資にかかる完全な子会社であつて、本店所在地は関係各子会社ともいずれも原告の本店所在地と同じであり、代表者はいずれも原告の代表者と同じであり、その他の役員も全く共通していることは認めるが、その余の事実は知らない。原告の主張の趣旨は争う。

2  同2に対する認否は次のとおりである。

(一)のうち原告が各店舗の新設につき関係各子会社との間に昭和四八年八月一日付で大分クラブと、同年九月一日付で広島クラブと、昭和四九年二付二五日付で鹿児島クラブとそれぞれ旧委託契約を締結したこと、原告が大分クラブと鹿児島クラブに委託した各店舗等の賃貸人が住友生命であることは認めるが、その余の主張は争う。

(二)のうち(1)の事実は認める。(2)のうち旧委託契約に定める保証金預託条項は、格別密接な関係を有しない物の間で業務委託をなすにつき通常行われる形式のものであることは認めるが、その余の主張は争う。

(三)の事実は否認し、主張の趣旨は争う。原告は昭和五一年七月三一日に、はじめて本件保証金の未収入金の額と長期預り金の額を相殺処理(関係各子会社においても同日、右保証金の敷金の額と未払い金の額を相殺処理している。)しているのであるが、もし原告の主張の如く、原告が昭和四九年六月二八日の取締役会において事実保証金の預託を受けないことを決議しているならば、原告としては、直ちに、旧委託契約を変更するなどした上相殺処理しているはずである。しかるに、原告は、その後の昭和四九年七月期(株主総会の決算承認決議・昭和四九年九月二九日)及び昭和五〇年七月期(株主総会の決算承認決議・昭和五〇年九月三〇日)においても、右相殺処理をしないまま決算をしているのである。したがつて、原告が主張するが如き前記決議は、極めて不自然、不合理であり、真実かかる決議がなされたとは到底認められない。なお、仮に、原告が右決議をしていたとしても、その一事によつて旧委託契約が変更されたり、無効になるものでないことはいまさらいうまでもない。

3  同3に対する認否は次のとおりである。

(一)の主張は争う。

(一)のうち原告が関係各子会社から受け入れた借入金の源泉は、もともと原告が日蓮宗寺院及び信徒より預託を受けた特定借入金そのものであるとの事実は否認し、その余の主張は争う。原告が関係各子会社から受け入れた借入金は、関係各子会社の社債発行による資金調達と原告が一〇〇パーセント保有する株式の払込み資金を資金源としており、少なくとも大分クラブの株主払込金は、銀行借入金を源資としている。

4  同4のうち原告と大分クラブとの間の旧委託契約によれば、大分クラブは原告に対し地代相当額、家賃相当額及び売上スライド部分を割賦金として毎月支払うべきものと定められていたこと、昭和四九年七月期において原告は大分クラブから家賃部分として三四四八万六五四〇円、売上スライド部分として一七〇一万四九二二円の合計五一五〇万一四六二円を収受したこと、右金額は原告が住友生命に支払つた建物の賃借料四五九〇万円を超える金額であることは認めるが、その余の事実は否認し、主張の趣旨は争う。

5  同5の(一)ないし(四)の各主張はすべて争う。

6  同6の(一)ないし(四)の各主張はすべて争う。このうち(三)の主張は左のとおり失当である。すなわち、永大産業、函館ドック及び安宅産業の事例は、金融機関から利息の減免等を受けたものであり、原告の場合のように親会社が子会社に経済的利益の供与をしたものとは態様を異にするばかりでなく、右三事例は、原告の場合とは事情を全く異にするのである。すなわち、永大産業の場合には、急膨張政策が破たんをきたし、事業縮少、希望退職者募集等の再建計画のもと実質的な銀行管理下で行われたものであり、函館ドックの場合には、造船不況の深刻な影響を受けて経営が頓挫し、希望退職者の募集など思い切つた合理化による再建策のもとに行われたものであり、また安宅産業の場合には、巨額の海外債権の回収不能をきつかけに経営危機が表面化し、放置すれば日本の国際信用に大きな傷がつくばかりでなく、国内でも多くの直接連鎖倒産による社会不安をきたす情報に対応するために整理縮少、被合併の計画のもとで行われたものである。したがつて、右三事例は経営の破たんが明らかとなり、放置すれば倒産必至の状態にあつて、これを回避するために合理的な再建計画又は整理計画に基づいて貸付金利息の減免等が行われたものであり、これに反し、原告の場合は、倒産があり得るはずがなく、かつ、原告に対して債務よりも多額の再建を有する関係各子会社について、合理的理由もなく保証金の預託の免除及び割賦金減額を行つたものであり、右三事例と原告の場合は全く事情を異にするのである。つぎに、東海観光、不二サッシ工業及び日本ドリーム観光の有価証券書からは、無利息貸付金の貸付先である関係会社(東海観光は東海不動産、東観商事、東和企画、不二サッシ工業は不二工機、日本ドリーム観光は尼崎松竹)の財務内容、経営状況及び無利息とした理由が示されていないのであるから、本通達を適用すべき要件は全く表れていないのである。なお、右事例のすべてについて、原告から証拠として提示された監督報告書、有価証券報告書又は証言では貸付金利息の減免等が法人税法の所得金額計算上、経済的利益の供与とされたかどうかは明らかでないのであるから、原告の「これらの事例において右利息の減免等の措置は経済的利益とはなされていないものである」とする主張は憶測にすぎず全く根拠のないものである。以上のとおり、原告は、関係各子会社の場合とは全く事情が異なるか又は事情不明の事例を引用したうえで、自己の主張に沿つた事実があつたかの如く断定して「親会社による業績不振の子会社に対する救済措置については、極めてしばしば見受けられるところである。」旨強弁しているに過ぎないのである。

7  同7のうち(一)の主張は争う。(二)のうち、昭和五一年六月三〇日割賦金の算定基準の改訂がなされるとともにこれを昭和五〇年八月一日の期首より適用することとしたことは認めるが、その余の主張は争う。このうち、原告の、一定期間経過後において価格なりリベートの額を定め、これを期首から適用することは、価格変動の激しい業界においては、しばしば日常的に行われているものであるとの主張については、一定期間経過後に期首に遡つて取引価格が取り決められる場合は、為替変動等の影響を受けるため価格変動が著しい商品等で、例えば、石油元売会社が電力会社に当初は仮価格で納入する原油等のように事前の契約によつて確定的な価格設定のできない特殊な取引事例においてであり、また、一定期間経過後に支払われるリベートについては、例えば、食品製造業者がスーパーに支払う販売奨励金のように販売先に対して自社製品等の販売促進を図るために報奨的な意味で取引数量等に基づいて算定された金額を支払うというものである。これに対して本件割賦金は、必要的かつ固定的な経費である地代相当部分の金額及び家賃相当部分の金額並びに売上スライドによつて算定される一般管理費等の金額から構成されているのである。このように、本件割賦金は、価格変動を受けることの極めて少ない安定性の高いホテル業において収受される金員である上に、予め約定された金額ないしは一定の方式によつて算定された確定した金額が収受されるものであつて、経済状況の変動等を理由として一定期間経過後にその取引金額を遡及して適用することの必要性は全く存しないものであるから、これを原告の例示する一定期間経過後の価格設定又はリベート支払と同列に論ずる原告の主張は失当である。このことは、住友生命が原告に対して大分クラブの建物設備の賃貸料につき昭和五二年七月分一〇〇〇万円及び昭和五三年七月期分一五〇〇万円を増額するに当たり、減額の期間を覚書を取り交わした月以降としていることにも表れている。すなわち、右減額の昭和五二年七月期分は、覚書を取り交わした月の昭和五一年一二月から昭和五二年七月までの八ヵ月(月額一二五万円)間について、昭和五三年七月期分は、覚書を取り交わした月の昭和五三年四月から同年七月までの四ヵ月(月額三七五万円)間について行われたものであり、原告の行為のように根拠もなく改訂の努力を過去に遡つて適用したものではないのである。

七  被告の再反論

1  旧委託契約に定める保証金預託条項について

原告は、関係各子会社との間の旧委託契約に定める保証金預託条項は、契約の当事者において、これを実行する意図のない例文と解するのが相当であると主張する。

しかしながら、本件保証金預託条項は、次のとおり原告と関係各子会社が相互に対等の契約当事者となつて適法に締結されたホテル管理運営委託契約によつて定められたものでかつ、その内容も合理的に取り決められたものであるから、原告の右主張は、失当である。

(一) 本件保証金預託条項によれば、委託者である原告は、受託者である関係各子会社からそれぞれのホテルの管理運営に伴う関係各子会社の一切の業務の履行を担保させるため、各クラブから所定の無利息の保証金の預託を受けるべきものとされているところ、右各保証金額については、大分クラブ分は、大分店の建物の賃貸人である原告が同建物の賃貸人である住友生命に対し、差し入れた敷金相当額によるものであり、広島クラブ分は、広島店の土地及び建物の取得費の額を基礎として、これに住友生命が採用している敷金の算定方式と同様の方法を用いて算出したものであり、鹿児島クラブ分は、鹿児島店の建物の賃借人である原告が同建物の賃貸人である住友生命に対し、差し入れた敷金相当額に原告の同店の内部設備工事費を上乗せして算定したものであり、更に、本件保証金預託条項も、格別密接な関係を有しない者の間で業務委託をなすにつき通常行われる形式をとつているものであつて、このことは原告の自認しているところである。

(二) また、原告及び関係各子会社の決算書類(貸借対照表)によれば、原告は、本件保証金預託条項に基づき関係各子会社からそれぞれ預託を受けるべき保証金額に相当する金額を当該関係各子会社に対する債権として「未収入金勘定(借方)」に計上するとともに、右金額と同額を関係各子会社に対する債務として「長期預り金勘定(貸方)」にそれぞれ計上する会計処理を行つているばかりでなく、原告は、これに基づき、当該事業年度分法人税の確定申告書を提出しているのである。

また、関係各子会社にあつても、本件保証金預託条項に基づきそれぞれ原告に預託すべき保証金相当額を原告に対する債務として「未払金勘定(貸方)」に計上するとともに右金額と同額を原告に対する債権として「敷金勘定(借方」に計上する会計処理を行い、右をそれぞれの決算書類(貸借対照表)に表示しているばかりでなく、当該関係各子会社は、これに基づき、それぞれ当該事業年度分法人税の確定申告書を提出しているのみならず、その起業目論見書作成時において、既に敷金勘定として予定していることがうかがえるのである。

(三) 以上によれば、本件保証金預託条項について、本件保証金の額の算定が合理的なものであると認められるばかりでなく、旧委託契約の当事者がいずれも本件保証金を債権又は債務と認識し、これを公表の決算書類に表示した上、被告に対して納税申告をも行つているのであるから、当該関係各子会社が前記のとおり本件保証金の額を上まわる無利息の自己資金を有し、後記のとおり本件保証金の預託が履行不能と認められる財政状態になかつたと認めることを合わせ考えると、旧委託契約は、原告及び関係各子会社が相互に契約当事者となつて適法に締結されたものと認めるのが相当であつて、本件保証金預託条項は例文であるとする原告の主張は失当といわなければならない。

(四) 更に、旧委託契約の有効であることを裏付ける契約締結時の事実を補足する。

(1) 原告は、昭和二五年以降顧問弁護士を擁し、これに法律相談の上でホテル経営を行つてきたものであるところ、旧委託契約の締結にあたつては事前に顧問弁護士に相談して十分なる吟味検討を行い、それに基づいて契約内容を決定しているのであり、各契約内容は、原告と関係各子会社との真意による意志の合致によるものとなつているのである。

(2) 各旧委託契約は、関係各子会社の実態に即してそれぞれ別異の内容となつており、前記のごとく原告が顧問弁護士と相談して吟味検討した結果が反映され、それぞれに個性を有したものとなつており、原告と関係各子会社との真意が如実に表れているのである。

なお付言すれば、各旧委託契約の内容は、前記のごとく経済界の実情にも合致しているのであり、それぞれに利潤の追求を目的とする合理的経済人である原告及び関係各子会社の合致した意志を示しているところである。

(五) 原告は、昭和五一年一一月一日大分クラブ、広島クラブ及び鹿児島クラブとの間に交わした各「覚書」によつて、それぞれの保証金を各旧委託契約で定めた預託すべき日まで遡つて取りやめることとしているところ、そもそも保証金預託条項が例文に過ぎないのであるならば、各「覚書」を交す必要性は全く存しないのであるから、かかる意味からも原告の主張が自ら破綻をきたした不合理なものであることが明らかなうえ各覚書が意味のないものであることを裏付ける次の事実も存する。

(1) 各覚書によれば、保証金の預託を受けない事由を「・・・転借権その他の独立した占有権限を有しないものである事・・・」としているが、保証金とを預託している理由は、旧委託契約の預託条項に示すとおり旧委託契約に基づく一切の義務の履行を保証するためのものであり、転借権等の有無には無関係なのである。

(2) しかも、各覚書は、各新委託契約の締結日である昭和五一年六月三〇日より四か月も後の同年一一月一日に作成されたものであり、このことのみをもつてしても、不自然、不合理なものといわざるを得ないのである。

2  原告の関係各子会社からの借入金の実態について

原告は、関係各子会社からの借入金及びこれにかかる支払利息の実質は、社債発行による調達資金の原告による運用とこれにかかる社債利子に相当するものであると主張する。

しかしながら、原告の右主張は、次のとおり、原告と関係各子会社の資金流用の実態に反し、失当といわなければならない。

(一) すなわち、関係各子会社の資金調達の状況は別紙一六の1表ないし3表のとおりである。

(二) これと、別紙五の1表ないし3表の 関係各子会社からの原告の借入金計上額とを対比すると、原告が、関係各子会社の社債発行によつて調達した、利息の負担を伴う資金を借り入れて運用していることは、原告主張のとおりであるが、原告は、右資金のみならず、関係各子会社がその株主の発行によつて調達した資金、すなわち、株式の払込みによる無利息の資金についてもそのほぼ全額を借り入れて運用していることが明らかであり、しかもその割合は全体的にみると五割を超えているのにかかわらず、当該借入金のすべてに対し、前記のとおり年利率一〇パーセントに相当する利息を付しているのである。

してみると、関係各子会社は、その社債発行による調達資金のみならず、株式発行による無利息の調達資金も原告に対する貸付金として運用していることになるから、原告の関係各子会社からの借入金に係る支払利息が社債権者に対して支払うべき社債利子に相当するものであるとする原告の主張は、右の点からして原告と関係各子会社の資金流用の実態を見誤つたものであることが、明らかである。

3  本件保証金にかかる未収金計上の措置について

原告は、関係各子会社に対する本件保証金の未収の措置は、関係各子会社の経済的苦境を援助し、その倒産を回避するためにされたものであると主張する。

(一) しかしながら、およそ法人税務上の親子会社間の取引については、当該各会社が役員・所在地等を共通にし、全体として統一した経営意志によつて経営され、いわゆる利害関係を共にする運命共同体的関係つま実質上同一体とみるべき親子会社の関係にあるという理由をもつて、当該親子会社個々の各事業年度の所得金額の計算にあたつて、特別な観点からこれを取り扱うことは許されず、一般に法人が合理的経済人、つまり互いに独立した第三者として特別な関係を有しない取引先であつたならば当然採つたであろう取引形態を前提としてその取引の実質的効果を認定すべきであり、これと著しく異なる取引は、不自然不合理なものといわなければならず、税法の適用上は経済的合理性を欠くものとしてその効果を評価されるべきである。

(二) そして、本件についてみると、前記2の本件保証金預託条項の有効性、原告及び関係各子会社の公表決算書類の表示方法に加え、当該関係各子会社が自己資金の払込みによつて調達した無利息の資金を有しており、右資金の額は、当該関係各子会社とも本件保証金条項の定めにより原告に預託すべきものとされている本件保証金の額を大幅に上まわつていたばかりか、右資金についても各社の社債発行によつて調達した利息の負担を伴う資金と合わせてそのほぼ全額を原告に対する貸付金として運用しているのであるから、当該関係欠く子会社は本件保証金の預託が履行できないような財政状態であつたとは到底認めることはできず、また、後記のとおり、本件保証金の預託条項の履行を強制すれば関係各子会社が直ちに倒産等の事態に至ると判断することもできないことを合わせ考えると、本件保証金相当額の未収金計上にとどめた措置を相当とするとの原告の理由付けはいずれも根拠がなく、その主張は失当であるといわなければならない。

4  大分クラブに対する地代相当分割賦金の免除の措置について

原告は、大分クラブに対し旧委託契約の定めによる割賦金のうち地代相当部分を免除したのは、相当かつ経済的に合理的な措置であると主張する。

(一) しかしながら、本件地代相当分の割賦金の額は、家賃相当部分の割賦金の額と合わせて原告が住友生命に支払うべき大分店の用に供した建物の賃貸借料に相当するものとしてこれと同額となるよう取り決めたものであり、かつ、原告が建物賃貸人住友生命に支払うべき右賃貸借料の額については何ら減額等されていないことからも、決して過大、不合理的なものといえず、また、後記のとおり、右割賦金を免除しなければ大分クラブの経営が直ちに破綻に瀕するものとは到底認められないので、原告の右主張はその前提において失当である。

(二) 更にふえんすると、法人税法上、法人が債務者に対し債務の全部又は一部の支払いを免除した場合において、当該免除を債権の回収不能の事実によるものであるときは、法人の各事業年度の所得金額の計算上その免除額を貸倒損失として損金の額に算入することとされているのであるが、債権が回収不可能であるかどうかについては、債務者が単に債務超過の状態にあるかどうかのみの事由によつて判断するのではなく、当該債務者において債務超過の状態が相当期間継続し、到底再起の見込みがなく、その事業を閉鎖あるいは廃止して休業に至つたとか、会社整理、破産、和議、強制執行、会社更生等の法的手続きによつても債権の支払をうけられなかつたなど、当該債権の回収ができないことが客観的に確認できる場合にはじめて回収不能と判断されるべきものである。

そして、本件割賦金の免除の措置についてみると、前記のとおり、本件地代相当部分の割賦金の額は、家賃相当部分の割賦金の額と合わせて原告が住友生命に支払うべき大分店の用に供した建物の賃貸借料に相当するものとしてこれと同額となるよう取り決められていたものであるところ、本件割賦金の免除は、大分クラブの開業事業年度である昭和四九年七月期の一事業年度中に支払うべき地代相当部分に断定し、かつ大分店開店の日(昭和四八年一一月一六日)の前日においてその支払いを免除したというものであり、原告が建物賃貸人住友生命に支払うべき賃貸借料の額については何ら減額等の契約改訂を経たものでないことは原告の自認しているところである。右によれば、本件割賦金の免除の時においては、本件地代相当部分のみを回収不能と判断するための客観的事由となるべき事実は、いまだ何ら発生していないことは明らかであるにもかかわらず、原告の負担すべき賃貸借料に見合うものとして合理的に取り決めた本件割賦金のうち地代相当部分の支払いを原告の負担において免除したものにほかならないというべきであり、また、右免除を受けなければ大分クラブで直ちに休業倒産の事態に立ち至るとは後記のとおり到底認められないのであるから、結局、本件地代相当部分の割賦金の免除は、合理的な賃料の減額改訂ということはできず、大分クラブに対する原告の同クラブの経営助成のためにした経済的利益の供与に相当するものと認めるべきであるから、この点に関する原告の主張は失当である。

(三) また、原告は、本件割賦金は右免除の対象となつた地代相当部分の賦課のほかに家賃相当部分の割賦金及び売上スライド部分の割賦金の支払約定があり、大分クラブから原告に支払われた昭和四九年七月期分の割賦金の合計額は、原告が大分店の店舗の用に供した建物の賃貸借料として住友生命に支払つた金額を上まわることをもつて本件割賦金の免除によつて経済的利益が大分クラブに帰属するとは見られないと主張しているが、前記のとおり、本件地代相当部分の割賦金と家賃相当部分の割賦金の合計額は原告の住友生命に対する賃貸借料の額に合致するよう取り決められたものであり、当該金額の算定が合理的であつて一方のみの支払いを免除する理由はなく、また、本件売上スライド部分の割賦金についても、関係各子会社の経営が、原告主張のとおり、原告の支払い関係にあることからすれば、関係各子会社の営業活動のために必然的に生じる管理費用等の相当部分は原告がこれを負担しているものとみるべく、このため、原告はいわゆる本社費用として原告の費用に計上されている共通費用の費用配分の方法として本件売上スライド部分の割賦金の授受を必要とし、かつ、当事者もこれに合意していたものとみとられるのであるから、本件売上スライド部分の割賦金は原告が負担すべき賃貸借料と比較されるべき費用にあたらないことは明らかで、原告も右割賦金と賃貸借料が異なる範ちゆうに入ることを原処分時から自認しているところである。

したがつて、本件売上スライド部分の割賦金のあることをもつて本件地代相当部分の割賦金の免除を相当であるとする原告主張は失当である。

5  関係各子会社につき生ずべき事態について

原告は、関係各子会社に対し、本件保証金を未収とし、かつ、大分クラブに対し割賦金を一部減額した理由は、当時の経済情勢の急変に伴う一般の不況に加え関係各子会社の営業地における地域的不況と競業他社による同種ホテルの乱立による過当競争の激化により、当初の起業目論見に反し、極度に業績が低下し、開業時においてすでに経営困難が確実視されていたことによるものであると主張する。

(一) しかしながら、原告の右主張は失当といわなければならない。

すなわち、関係各子会社は、原告からそれぞれ建物設備等が完備しているホテルにつき、これを運用して経営を行うことを受託するのであるから、多額の資金を投下して建物設備等を整える必要は全く存せずホテル経営にあたつて必要な資金は、わずかに原材料費及び直接の人件費等にとどまり、いわゆる日々の運転資金をもつて足りるのである。

してみれば、大分クラブの資本金一億円、広島クラブの資本金二億円、鹿児島クラブの資本金七〇〇〇万円はいわゆる日々の運転資金をそれぞれはるかに超える金額であることが明らかなのであり、このことは、原告が関係各子会社の資本金を、いずれもそのほとんど全額借り受けている事実によつても裏付けられているところである。

このように、関係各子会社は、多額の資本金等を保有しているのであるから、原告に対して保証金を預託し、割賦金の支払いをなす債務の履行につき、社会経済情勢の変動等による影響を受けるものではなく、これが履行困難である理由は何ら存しないのである。

また、関係各子会社は、その営業形態からして、日々現金収入を得るものであり、関係各子会社は、別紙一七のとおり、昭和五一年七月三一日現在、原告に対し多額の未収金債権を有していること(同紙中の債務未払金欄)からしても、たとえ、原告に対して旧委託契約に基づく保証金、割賦金を含む全債務を履行したとしても、昭和五一年七月三一日現在債権額が債務額を超過する状態にあつたので、原告が関係各子会社に対する債務の返済を意図的に停止しない限り、関係各子会社の倒産などあり得ないことなのでる。

したがつて、原告の前記主張は、その前提を欠き失当といわなければならない。

(二) 次に、原告は、起業目論見書作成時と関係各子会社の開業時との間に経済情勢の急変などの特段の事情があつたか否かを基準に判断すべきであるとの趣旨の主張をなしているが、原告が関係各子会社に対し、合理的算定方法により、本件保証金及び割賦金の有無及び金額を確定したのは、起業目論見書作成時点ではなく、あくまでも原告が関係各子会社との間で旧委託契約を締結した時点であるから、起業目論見書作成時の状況は、もとより比較の対象とならないといわなければならない。

ところで、関係各子会社の設立、「ホテル管理運営委託経営」の締結及び開業年月日は次表のとおりである。

<省略>

したがつて、大分クラブについては、開業までの約三か月間に、広島クラブについては、開業までの約一か月間に特段の事情があつたか否かを考慮すれば足り、鹿児島クラブについては、特段の事情を考慮するに値しないものといわなければならない。

(三) そこで、原告の大分クラブに対し、本件保証金を未収とし、かつ、 割賦金を一部減額改訂したことに特段の事情があるとの主張について、次のとおり反論する。

(1) 大分市が地域的不況地帯に転落し、大分市の宿泊人数が減少したとの主張について

原告は、原告が大分クラブに対し本件保証金を免除し、かつ大分店の営業開始の日(昭和四八年一一月一六日)の前日において本件割賦金を免除したのは、昭和四八年一〇月のオイルショックの突発による経済不況の襲来のため、大分新産業都市計画が全面的に頓挫し、大分市に一大工業圏建設を予定していた新日本製鉄、三井造船を始めとする大企業の進出がほとんど棚上げの状態となり、その結果として、大分市が地域的不況地帯に転落し、大分市の宿泊客数の増加見込みが画餠に帰したためであると主張する。

しかしながら、次のとおり、大分クラブの開業事業年度(昭和四八年八月一日から昭和四九年七月三月一日まで)において、大分市は新産業年を建設中でり、宿泊客数も増加しているのであるから、原告の右主張は明らかに失当である。

<1> 大分クラブの経営する大分店所在の大分市は昭和三九年新産業年に指定され、新産業年基本計画に基づく大分臨海工業地帯建設の第一期計画(埋立面積三二三万坪)は、昭和四七年四日新日本製鉄株式会社大分製鉄所の第一号高炉の火入れをもつておおむね完了し、引き続き昭和四八年一一月からは、第二期計画のうち三井造船株式会社等が進出する七号地(六三万二〇〇〇坪)の、昭和四九年六月からは六号地(九七万三〇〇〇坪)の埋立てがそれぞれ開始され、七号地については昭和五三年度中にほぼ完了する等し、多数の企業の進出が認められ、例えば、大分進出が棚上げになつたと原告が主張する新日本製鉄株式会社大分製鉄所についても昭和四六年六月発足し、昭和四七年七月に、第一号高炉(炉内容積四一五八立法メートル)を完成して火入れを行い、その後昭和四八年一〇月には第二号高炉(炉内容積五〇七〇立法メートル)に着工し、昭和五一年一〇月に完成して、火入れを行つて巨大な製鉄設備を完備するに至つているのである。

そして、大分市の工業出荷額についても、別紙一八の1表のとおり、大分臨海工業地帯の建設により飛躍的発展を遂げているのである。

同表によれば、大分店の開店の日(昭和四八年一一月一六日)の属する開業事業年度(昭和四八年八月一日から昭和四九年七月三一日まで)である昭和四八年及び昭和四九年の大分市の工業出荷額の前年対比の割合はそれぞれ一五九パーセント、一六二パーセントであることが認められる。

<2> 大分市の昭和四六年から昭和五一年までの各年の宿泊客数は別紙一八の2表のとおりである。

同表によれば、昭和四七年の宿泊数が著しく減少しているが、同年は、原告が起業目論見書を作成した年であつて、原告の主張する如く、目論見書作成時を基準におき、これと対比するなら、その後の宿泊数は飛躍的に増加していることが明らかである。

また、大分クラブは株式会社ダイエー(スーパーマーケットの大手業者)大分店の開店の日と同じく昭和四八年一一月一六日大分店の営業を開始し、開業事業年度の昭和四八年八月一日から昭和四九年七月三一日までの間である昭和四八年及び昭和四九年の宿泊客はオイルショックにもかかわらず急増していることが認められる。

<3> してみれば、大分市は新産業都市の指定により大分臨海工業地帯に大手企業が工場を建設し、大分市の工業は飛躍的に発展し、それに伴い建設労務者及びビジネス客等が大分市を来訪し大分クラブの開業事業年度である昭和四八年及び昭和四九年の宿泊客数は激増しているのであるから、大分市が地域的不況地帯に転落し、宿泊客数が減少したとの原告の右主張は明らかに失当といわざるを得ないのである。

(2) 大分市におけるホテル宿泊施設が乱立したとの主張について

原告は、原告が大分クラブに対し本件保証金を未収とし、かつ本件割賦金を免除したのは、大分市における宿泊数の増加を見込んで同業他社による大分市内のホテルの新増設が相次ぎ、その結果一挙に市内ホテルの宿泊施設は二倍以上となるにいたり、甚だしい供給過剰の状態に陥ることがすでに開業時以前より明らかとなつていたためである旨を主張する。

<1> しかしながら、原告としても、旧委託契約を締結した昭和四八年八月一二日当時、ホテル施設が増加することが予測できたのにかかわらず、同契約によつて、本件保証金及び割賦金を定めたのであるから、そもそもホテル施設の増加は、原告の主張する特段の事情に該当しないのである。

<2> しかも、大分市内におけるホテル設置の状況は次のとおりであるので、原告の主張は明らかに失当である。

(ア) まず、大分市における国際観光ホテル整備法に基づく登録ホテルについては昭和四六年九月二三日に開店した大分西鉄グランドホテル(客質数二二〇室)のみであつたが、その後大分臨海工業地帯建設の進展に伴い、建設工業関係者及びビジネス客等の増加に対応して、現在に至るも、昭和四九年六月三〇日に大分第一ホテル(客室数一三九室)が、同年一二月一四日に大分セントラルホテル(客室数一一七室)がそれぞれ新設されたにすぎないのである。

右によれば、大分クラブがビジネスホテルである大分店(客室数二〇七室)の営業を開始した日は昭和四八年一一月一六日であり、当該開業年に新設された登録ホテルは皆無である上、大分第一ホテルの開業の日が昭和四九年六月三〇日で、大分クラブの開業事業年度末の一ヵ月前であり、大分セントラルホテルの開業の日は大分クラブの開業事業年度後であることから、右登録ホテル二軒の開業が大分クラブの開業事業年度の経営成績に直接営業を及ぼすものとは到底認められない。

(イ) 次に、登録ホテル以外のホテル(大分保健所長からホテル営業の許可を受けているもの)をも含めて検討すると、昭和四六年から昭和五二年までの間のホテルの設置状況等は別紙一八の3表のとおりである。

(ウ) 同表によれば、大分臨海工業地帯建設の進展、特に、新日本製鉄大分製鉄所の第二号高炉建設及び大分臨海工業地帯の第二期計画の着工に伴い大分の将来性は高く評価され、大分市のホテル営業者は年々増加していることが認められるが、ホテルの規模からは、大分クラブに対抗できる程度のものは極めて少数であることが認められる。

更に、大分クラブが開業した昭和四八年から昭和五一年までの間、大分市においてホテル業者が事業廃止(倒産)した事実も認められない。

(エ) してみれば、大分市におけるホテルの増加は、鉄と石油を基幹とする大分臨海工業地帯の著しい発展に伴いビジネス客等の増加に着目してホテル業者が進出したもので、大分クラブの開業当時には供給過剰の状態にあつたとは認められず、原告の右主張は明らかにに失当である。

なお、原告主張の別紙九「大分市宿泊施設需給関係図」中の「大分市ホテル室数」は大分県全体のホテル客室数であり、大分市のホテル客室数ではなく、したがつて原告の右主張の根拠となるものではない。

また、大分合同新聞の昭和四八年一〇月一二月付の夕刊によれば、『近くオープンする法華倶楽部では「大分の将来性はまだかなり高く評価している。新日鉄の二号高炉、新産年二期計画を考えると採算が取れそう」と長い目でみている』と報道しており、原告自身も、大分市におけるホテル業の将来性について高く評価していたことが認められるのである。

(3) 原告主張の「大分市宿泊施設需給関係図(別紙九)」について

原告は本件割賦金の免除の理由として、別紙九「大分市宿泊施設需給関係図」中の「大分県立地動向推移の伸び率」、「大分市宿泊数」及び「大分鉄道管理局旅客輸送状況」の各線によりそれぞれ見るならば、いずれも起業目論見書作成の昭和四七年五月末時点では著しい上昇傾向を示していたのにかかわらず、いずれも昭和四八年、九年中に頭打ちとてり以後急激に下降減少していると主張する。

しかしながら、大分店の開店の日が昭和四八年一一月一六日であり、原告の大分クラブに対する本件割賦金の免除は大分クラブの開業事業年度である昭和四九年七月期の一事業年度のみに限定し、かつ、原告が大分クラブに対し割賦金の免除をしたのは、大分店の営業開始の前日であるところ、大分クラブの開業当時はこれが上昇傾向にあつたもので、この一事によつても原告の右主張が失当であるばかりでなく、ホテル業にとつて、問題となるのは宿泊客数であつて、「大分県立地動行推移の伸び率」「大分鉄道管理局旅客輸送状況」は問題とならず、しかも、前記別紙一八の2表のとおり、宿泊客数は激増しているのであるから、いずれにしても原告の右主張は失当という他ない。

(4) 大分クラブの起業目論見書について

原告は大分クラブの開設計画の基本となつた起業目論見書が昭和四七年五月三一日をもつて作成され、右起業目論見書によれば、大分クラブの営業利益は昭和四九年七月期が四〇八〇万九〇〇〇円、昭和五〇年七月期が六一三〇万六〇〇〇円、昭和五一年七月期が六五九〇万一〇〇〇円見込まれていた旨主張する。

しかしながら、原告の右主張は、次に述べるとおり、極めて異常な利益計画といわざるを得ない。

一般に、会社の開業初年度における営業成績は多額の利益が見込まれることはきわめて少ない。すなわち、設立から、開業に至るまでには会社設立のための費用及び開業準備のための多額の諸費用を必要とするとともに、設備投資に対する支払利息及び減価償却費を計上するため、開業後相当の期間における営業成績については純損失を生ずることとなることも少なくない。また、ホテル業は巨額の投下資本を要し、例えばホテル用建物の耐用年度五〇年からみても、右投下資本の回収は長期に亘るのが通例である。

しかるに、大分クラブの右目論見書によれば、大分クラブの営業利益(損益計算書の当期純利益に該当する。)は、開業事業年度が四〇八〇万九〇〇〇円、その翌事業年度が六一三〇万六〇〇〇円と見込まれており、その売上高純利益率(売上高に対する純利益の割合をいう。)は、それぞれ二〇・九パーセント、二〇・六パーセントとなり、業界のその目標値三パーセントを著しく上まわる過大なものである。また、原告が住友生命から賃借した大分店の建物の賃貸借期間が一五年間であるところ原告の投下資本一億円は法華倶楽部大分店の開業後わずか二年で回収できるとされておりきわめて異常のことである。その他起業目論見書の割賦金の定め方等もきわめてずさんであること等が認められるのである。

(四) 次、原告の、広島クラブに対し、本件保証金を未収としたことに特段の事情があるとの主張について、次のとおり反論する。

(1) 広島市が地域的不況地帯に転落し、広島市の宿泊人数が減少したとの主張について

原告は、広島クラブに対し本件保証金を未収とした理由の一つとして、昭和四八年秋のオイルショックによる深刻な経済不況のため観光客が減少し、他方、東洋工業、三菱造船等地元企業の業績不振は広島市における宿泊客数の動向にも重大な影響を与え、宿泊数は増加の予測とは逆に減少するにいたつたものであるとした上、別紙一〇の「広島市宿泊施設需給関係図」により、企業の進出状況、広島市内の宿泊客数の増減状況及び鉄道旅客輸送状況をそれぞれ見れば、企業の進出と旅客の輸送状況は昭和四八年、広島市内の宿泊数はこれより若干ずれて昭和四九年をそれぞれピークとし、以後急激に落ち込んでいることがわかると主張する。

しかしながら、別紙一〇中の「広島県立地動向推移の伸び率」「広島鉄道管理局国鉄旅客輸送状況」は直接的には宿泊客数を裏付けるものではない上、左のとおり、国鉄広島駅の乗降人員、広島市の観光客数及び宿泊客数は年々増加しているのであるから原告の右主張は失当である。

<1> 国鉄広島駅の昭和四六年度から昭和五一年度までの各年度の乗降人員は別紙一九の1表のとおりである。

同表によれば、国鉄広島駅の乗降人員は年々増加しており、昭和五〇年三月一〇日に山陽新幹線が、岡山から博多までの間に営業を開始したことに伴い、著しく増加したことが認められる。

なお、原告は旅客輸送人キロを基に作成した別紙一〇中の「広島鉄道管理局国鉄輸送状況」により、旅客輸送状況が昭和四八年をピークとして以後急激に落ち込んでいる旨主張しいるが宿泊等に関係があるのは、旅客輸送人キロではなく乗降客数であるから、既にこの点において原告の右主張は失当である。また被告の調査によれば、広島鉄道管理局の旅客輸送人キロは別紙一九の2表のとおりであつて年々増加していることが認められ、原告主張の旅客輸送人キロは、次のとおり在来線の普通旅客輸送人キロのみであつて山陽新幹線に係る普通旅客輸送人キロを除外しているので、失当である。

<2> 次に広島市の昭和四六年から昭和五一年までの各年の観光客数は別紙一九の3表のとおりである。

同表によれば、広島市の観光客数は年々増加していることが認められ、また、広島クラブの開業事業年度(昭和四八年年八月一五日から昭和四九年七月三一日まで)の翌事業年度である昭和五〇年の広島市は同年三月の山陽新幹線の開通と併わせて原爆被爆三〇周年の年に当たつたため、全国規模の各種大会等が開催されたこと、広島東洋カープが好調で初優勝を達成し、広告宣伝が全国的にいきとどいたこと等があいまつて、広島市を訪れた観光客数は前年の一・五倍と飛躍的に上昇したことが認められる。

<3> 更に、広島市の昭和四六年から昭和五一年までの各年の宿泊数は別紙一九の4表のとおりである。

同表によれば、広島市の宿泊客数は著しい上昇傾向を示しており、広島クラブの開業事業年度である昭和四九年の宿泊客数の前年対比の割合は一二九パーセントであり、また、山陽新幹線が開通した昭和五〇年の宿泊客数は、前年と比較し九一万人と著しく増加したことが認められる。

<4> してみると、国鉄広島駅の乗降人員、広島市の観光客数及び宿泊客数は右のとおりいずれも年々増加しており、特に山陽新幹線が開通した昭和五〇年は飛躍的に上昇しているのであるから、宿泊客数が減少したとの原告の右主張は明らかに失当といわなければならない。

(2) 広島市におけるホテル宿泊施設が乱立したとの主張について

原告は、広島クラブに対し、本件保証金を未収としたもう一つの理由として、広島市において同業他社のホテル新増設が相次ぎ、その結果市内ホテルの宿泊施設は需要を無視して急増するに至り、供給不足は一転して甚しい供給過剰の状態に陥つてしまつたと主張する。

しかしながら、原告は、旧委託契約を締結した昭和四八年九月一日当時、ホテル施設が増加することは予測できたのにかかわらず、同契約によつて、本件保証金を定めたのであるから、ホテル施設の増加は原告主張の特段の事情に該当しないのである。

しかも、広島市におけるホテル施設の増加は、ホテル業者等が昭和五〇年三月の山陽新幹線の開通をめざして進出したものであり、山陽新幹線開通後の昭和五一年一月に至つても広島シテイホテル(客室数一七一室・登録ホテル)が広島市内に開業していることが認められ、このことはとりもなおさず、いまだ供給過剰に陥つてない証左と評価でき、更に、別紙一九の4表のとおり広島市の宿泊客数は年々増加していること等を考慮すると原告の主張するようにホテル施設が供給過剰に陥つているとは必ずしも認められないのである。

(五) 次に、原告の鹿児島クラブに対し、本件保証金を未収としたことに特段の事情があるとの主張について、次のとおり反論する。

原告は、原告が鹿児島クラブに対し本件保証金を未収としたのは、昭和四八年秋ころよりオイルショックの影響による経済不況の到来と家計の引締めにより観光関連の事情が甚大な影響を受け、鹿児島クラブにおいても右の経済不況による影響は、昭和四八年秋頃より出はじめ宿泊客も減少傾向を示すに至つたこと、加えて、宿泊客の増加を見込んで同業他社による鹿児島市内のホテルの新増設ラッシュにより市内ホテルの宿泊施設は昭和四八年ころより激増するに至りたちまち供給過剰による過当競争を現出することとなつたことによるものであると主張する。

しかしながら、仮に原告主張のような事実があつたとしても次のとおり本件保証金を未収とした特段の事情となりえないので、右主張は、右事実を問疑するまでもなく失当である。

(1)原告は、昭和四九年二月二五日鹿児島クラブを設立したうえ、同日付で鹿児島クラブと旧委託契約を締結しているところ、本件保証金の預託は昭和四八年一〇月のオイルショック後の昭和四九年二月二五日に締結された右旧委託契約によるものであるから、昭和四八年秋のオイルショック以後の経済不況後について十分考慮した上本件保証金額等を決定していることが認められるので、原告の右主張は本件保証金を未収とした特段の事情とはなりえないことは明らかである。

(2) なお、原告は鹿児島市における登録ホルの客室数の増加をもつて鹿児島市のホテル施設は供給過剰である旨主張するようであるが、鹿児島市における登録ホテルの状況等は別紙二〇のとおりであるので原告の右主張は失当である。

同別紙によれば、鹿児島市における国際観光ホテル整備法に基づく登録ホテルは四軒のみであつて、鹿児島クラブが設立された昭和四九年二月二五日以後に開業した登録ホテルは「かごしま林田ホテル」一軒にすぎないのであり、また、登録ホテルの客室数の増加も三九〇室(一二一七室マイナス八二七室)にすぎないのであるから鹿児島市のホテル施設が供給過剰であるとの原告の右主張は失当といわざるを得ない。

6  法人税基本通達九-四-二の規定の新設について

原告は、原告の関係各子会社に対する本件保証金の未収の措置は、関係各子会社の経済的苦境を援助打開し、その倒産を回避し、これによる親会社の損失の増大・倒産の危険を未然に防止するための措置であるから、法人税基本通達九-四-二の規定に定める正常な取引として経済的合理性を有するものであると主張する。

しかしながら、次のとおり、原告の関係各子会社に対する未収の措置は、法人税基本通達九-四-二の規定の正常な取引条件に従つて行われたものとは到底認められないので、原告の右主張は失当という他ない。

(一) 原告の指摘する法人税基本通達九-四-二(無利息貸付等)は「法人がその子会社等に対して金銭を無償又は通常の利率よりも低い利率で貸付た場合においても、その貸付が例えば業績不振の子会社等の倒産を防止するために緊急に行う資金の貸付で合理的な再建計画に基づくものである等その無償又は低い利率で貸付けたことについて相当の理由があると認められるときは、その貸付は正常な取引条件に従つて行われたものとする。」と規定しているが、同規定は、法人が子会社等に対して金銭を無償又は通常の利率よりも低い利率で貸し付けた場合には、通常収受すべき利息と実際に収受している利息との差額について税務上寄付金として取り扱うという原則に対し、例外的に、無利息貸付等をせざるを得ない相当の理由が認めれるとき、すなわち、純経済人としての立場からその合理的理由と必要性が客観的に認められるという厳格な要件が備わつている場合に限り、正常な取引条件に従つて行われたものとして取り扱い、寄付金として取り扱わない旨を明らかにしたものである。右規定の例示から、明らかなように、同規定は、業績不振の子会社等の倒産を防止するために、合理的な再建計画に基づく緊急性のある資金の貸付等を予定したものであり、かかる緊急的必要性のある「つなぎ資金」についても通常の金利負担を求めるならば、再建しようとしている子会社の前途に思い負担を強いることになるから、例外的に、通常収受すべき利息と実際に収受している利息との差額を寄付金として取り扱わないということを明らかにしたにすぎないのである。したがつて、当然のことながら貸主たる親会社等の法人の主観的判断、目的によつて同規定が適用されるのではない。

(二) これを本件についてみると、前記5のとおり、関係各子会社にいずれも本件保証金の預託を履行し得る財政状態にあり、倒産等経営破綻に瀕していたとは到底認められず、したがつて、原告の関係各子会社に対する本件保証金の未収等の措置は、当該関係各子会社を援助するという単なる主観的判断のもとになされたにすぎず、法人税基本通達九-四-二の規定が適用される場面でないことは明らかである。

7  新委託契約による賦課金の算定基準の改訂について

(一) 原告は旧委託契約の賦課金の算定基準につき、委託契約において、効力発生の日を遡及させて改訂しているところ、期中における各月の計上は、単に暫定的なものにすぎず、確定的に発生した収益とみるべきものではないと主張する。

しかしながら、原告の右主張も明らかに失当である。

(1) 旧委託契約書の第五条によれば、関係各子会社は右賦課金の算定にあたつては、各月毎の月始めから月末までの純売上高等を参酌して各月毎に計算し、かつ翌月五日までに原告に対し賦課金の支払い明細書を提出する定めになつているのであるから、賦課金の納入を求める権利は各月毎に成立、確定し、その履行期は翌月二〇日に到来するものとなつており、原告の期中における各月の賦課金収入の計上は何ら暫定的なものではなく、確定的に発生した収益とみるべきである(権利確定主義)。

(2) 原告は、新委託契約書の効力発生の日を遡及させているが、このような行為は合理的経済人の見地からすれば通常なしうべきもない不自然・不合理なものといわなければならない行為であり、このことは原告と住友生命との間における賃貸借料値引きの覚書に照らしても(覚書の作成月以降の分について賃貸借料値引きの合意がなされ作成月以前にまで、当該値引の効力を遡及させていない。)明らかである。

(3) 結局、原告は、旧委託契約によつて原告の収益の額として確定的に発生していた関係各子会社にたいする賦課金の額について新委託契約による賦課金の算定基準を遡及して適用し、すでに計上した収益の額の一部を減額修正する方法により、その額の一部を関係各子会社に対して免除したことになり、これは、とりもなおさず原告が関係各子会社に対し、右相当額の利益を供与したことに他ならない。そして、原告の行つたこのような行為は、合理的経済人の見地からすれば、通常なし得べくもない不自然・不合理なものといわなければならないのである。

(二) 原告は、また、昭和五〇年八月一日より昭和五一年七月三一日事業年度の開始にあたつては右事業年度より賦課金の算定基準の改訂をなすことが原告及び、関係各子会社間においてすでに合意されていたのであるから、右事業年度における旧委託契約による賦課金の算定基準は、あくまでも暫定的かつ仮のものであつた、したがつて賦課金が確定的に発生したものではないことは明らかであると主張する。

仮に右合意(合意が口頭でなされたものか、文書等で明らかにされているものなのか判然としないが)がなされていたとしても、原告の主張から明らかなとおりその合意なるものは、将来賦課金を改訂するという方向付けについての合意にすぎないものであり、改訂について具体的な合意がなされるまでは、賦課金の算定、収入としての計上は旧委託契約の約定に従いなされていたものである。このことは、新委託契約が締結されるまでは、旧委託契約が有効に存続していたということにほかならず、旧委託契約に基づく賦課金収入の計上が確定した原告の収益であるとする被告の前記主張は、右合意の存在により何の影響も受けないものである。

ちなみに、旧委託契約に基づく賦課金収入の計上が暫定的なものでなく、原告の確定した収益とみなされることは、原告自ら期中において、旧委託契約に則り各月の賦課金収入を計上しているばかりか、鹿児島クラブ・大分クラブの各月の月次残高表によれば右子会社は賦課金の累計額を各月毎に予算対比などしたうえで原告へ報告している(原告の主張のように旧委託契約による賦課金の算定基準が暫定的かつ仮のものであるならば予算対比などの必要性は乏しいといわざるを得ない。)ことからも明らかである。

八  被告の再反論に対する原告の認否

1  被告の再反論1のうち(1)の事実は認めるが、その主張の趣旨は争う。(二)の主張の趣旨は争う。関係各子会社の設立に先立ち起業目論見書作成時においては、敷金勘定として予定したことも存したが、これは、当初の経済界一般の好況の下に旺盛な宿泊需要を予測して順調な営業成績を上げ得るとの極めて楽観的な見通しに基づきしたものなのであつて、かかる目論見に反して、急激な経済界一般の不況及び地域的不況ならびに競争激化により極度に業績が悪化する状態にあり、かくては関係各子会社が保証金を預託することなどとうてい不可能であることが明らかとなつたものである。(三)の主張は争う。(四)の主張の趣旨も争う。顧問弁護士に契約につき相談することは、契約内容なりその真意等につき検討するものでないことは、弁護士の相談業務の性質上当然のことであり、このことからして真意に出たとすることができないことは当然である。また、旧委託契約が誤つた当初目論見の上に立ち合理的な根拠及び確たる見通しを欠いた内容となつたことはすでに原告の述べたとおりである。別異の内容であることから実態に即したものであるなど旧委託契約の成立に至る経緯実情を全く無視した単なる形式論にすぎない。しかして、旧委託契約は、その締結に至る経緯よりして、これについての契約意思の存在しないことについては原告のすでに述べたとおりである。(五)のうち原告が昭和五一年一一月大分クラブ・広島クラブ及び鹿児島クラブとの間に「覚書」を交わしたことは認めるが、その主張の趣旨は争う。覚書を交わしたのは、当事者の合意と真意とを書面をもつて明確にしたものであり、なんら異とするに当たらないし、保証金の預託を受けない事由が親子会社の実質上同一体であることからすれば、転借権の不存在を理由とすることは当然である。

2  同2のうち(一)の事実は認めるが、(二)の主張は争う。この点についての原告の主張は、後記原告の再々反論のとおりである。

3  同3の(一)の主張は争う。(二)の主張の趣旨も争う。被告の右主張は、全く実状を無視した空論であり誤りであるという他ない。関係各子会社は、たとえ無利息の資金を有していたとしても、その営業成績が極度に悪いので、とうてい保証金の預託をなし得る状況になかつたものである。現に関係各子会社は、無利息の保証金を預託することなく利息のつく貸付金としても、なおかつ莫大な赤字を計上していることを見ても、いかに被告の主張が失当であるかが明らかとなるのである。被告の前記主張は単に資金面からのみ見るに止まり、肝心の営業損益の悪化を全く無視しているのである。関係各子会社としては無利息資金と社債による払込金とを運用してもなおかつ多額の赤字を生じているのであり、かかる事実関係よりすれば無利息の保証金を預託することなどとうてい不可能な状況にあつたことは明らかといわねばならない。

4  同4の(一)ないし(三)の各主張の趣旨はいずれも争う。

5  同5の主張に対する認否は次のとおりである。

(一)の主張は、いずれも争う。被告の主張は、そもそも関係各子会社の業績不振による欠損金の累積という根本的な問題をことさら回避している。もし仮に被告主張どおりの措置をとつていたとするならば、累積赤字の増大によつて資金食い込みの事態になり資産状態が破綻に陥ることは原告のすでに述べたとおりである。かかる明白な事実にことさら目をふさぎ関係各子会社の営業形態を云々することは全く失当である。そして、関係各子会社の日々の現金収入は、直ちにその金額を原告に納入するものであり、自らの手持資金は全く存しないのであるから、被告の右主張はその前提を欠くものである。更に、被告の、関係各子会社が原告に対して昭和五一年七月三一日現在債権額が債務額を超過する状態にあつたとの主張は、大分クラブについてみれば、昭和五一年七月三一日現在、被告主張の別紙一七記載の他、原告に対して七七一四万八〇八一円の債務を負つていたのであるから、債務額が大幅に債権額を超過していたのである。また、広島クラブ・鹿児島クラブについても、被告の右主張はその実態に反するもので失当である。

(二)の主張の趣旨も争う。被告の右主張は、保証金及び賦課金の金額を確定する経過を誤解していることからきているものであり失当である。即ち原告による大分、鹿児島及び広島の各クラブ開設にあたつては、市場調査報告書を作成し、これを基礎資料として起業目論見書を策定し、これが各クラブ開設計画の基本となつたものなのであつて、保証金及び賦課の金額が確定されるのは正に起業目論見書作成時点においてなのである。何故ならば右起業目論見書作成時点において、宿泊人数、売上高、営業経費、営業利益等の予想計画値が策定され、これに基づき旧委託契約における賦課金額を算出しているものであり、右契約中の金額は右のようにすでに算出してある賦課金額により、右契約締結の時点において決定されるものではないからなのである。このことは、原告が大分、鹿児島クラブの建物の賃貸人である住友生命との間に旧委託契約に先だつてあらかじめ建物賃貸借契約を締結したものであるところ、右契約は起業目論見書における予想計画値を基礎として賃料額等を決定しているものであることからも明らかであり、賦課金額等の確定が契約締結時点であるとする被告の主張は契約書の文書化という形式のみにとらわれ、すでに右金額は実質上確定していたという実体を看過しているものである。そうだとすれば、大分クラブについては起業目論見書作成時期が昭和四七年五月三一日であるところ開業時期は昭和四八年一一月一六日であり、広島クラブは起業目論見書作成が昭和四七年八月二四日、開業は昭和四八年一〇月八日、鹿児島クラブは起業目論見書作成が昭和四五年四月一二日契約締結は昭和四九年二月二五日なのであり、それぞれ当初の起業目論見書とその後の一般的、地域的不況及び過当競争の激化という特段の事情の発生による乖離は明らかであるというべきである。

(三)については、(1)のうち、昭和四八年、昭和四九年度の大分市の工業出荷額が著しい上昇傾向を示していることは争うが、その余の事実は認める。企業の進出状況を見れば、右新日鉄の高炉完工は計画に対して大幅な遅延を重ね、もつとも進出が待望された三井造船をはじめとする造船、石油化学コンビナート等多数の企業はすでに進出を断念するか、あるいは大幅な遅延を重ねているものであるうえ、工業出荷額についてもたしかにその数字こそ増加しているものの予想計画値をはるかに下まわつているものであつて、大分臨海工業地帯建設の計画は大幅な遅延、縮少、後退を余儀なくされ、大分市が地域的不況地帯に転落したことは、周知の事実といわねばならない。<2>のうち大分市の昭和四六年から昭和五一年までの各年の宿泊客数が別紙一八の2表のとおりであることは認めるが、その余の事実は否認し、主張の趣旨は争う。起業目論見書作成の昭和四七年五月末時点では、宿泊客数が今後著しい上昇を示すと予測されていたのにかかわらず、昭和四八年及び昭和四九年中に頭打ちとなり、以後急激に下降ないし横ばい状態となつたもので、被告主張のように飛躍的に増加したものということはできない。<2>の(ア)、(イ)のうち、大分市におけるホテル新設状況が被告主張のとおりであることは認める(但し、別紙一八の3表のうち、ビジネスホテルとよみ、同ほがらか及び同水仙の開設はいずれも昭和四九年ではなく、昭和四八年である。)が、主張の趣旨は争う。(ウ)、(エ)の主張はいずれも争う。被告の右主張自体によつてみても、起業目論見書作成時点である昭和四七年当時においては、客室数三二四室であつたのに、昭和四八年には七五一室(三・九倍)、昭和五二年には一四四三室(四・四五倍)に激増しているのである。

これによれば、ホテル宿泊施設の増加が昭和四八年以降いかに急激なものかが明らかとなるのであり、かかるホテルの新増設ラッシュが甚だしい供給過剰の状態を招来することが開業時以前において目に見えていたものである。(3)の主張は争う。要は別紙九によれば、昭和四七年五月の起業目論見書作成当時にいずれも著しい上昇が見込まれていた同紙記載の各数字が昭和四八年一〇月のオイルショックの突発に伴い以後急激に下降減少するにいたつた情勢が明らかなのである。もちろん右線グラフは各一年間毎の数に基づくものであるため、年の中途における変動を即時に示すことができず、その間に時間差が存することはいうまでもないが、このことを念頭において見るならばその動向の大勢を窺うことができるのであつて、大分クラブ開業当時これが上昇傾向にあつたと見ることは失当であるといわねばならない。(4)の主張は争う。原告の過去における支店開設の場合の開業事業年度以降の売上高純利益率は、二〇パーセントないし二〇パーセントに上つており大分クラブの右目論見書の予想値も右過去の事績に徴して定められたものであり、決して過大ではない。例えば昭和四三年開設にかかる福岡支店の場合においても、開業事業年度の売上高純利益率こそ七・七九パーセントに止まつたが、翌事業年度においては二〇・〇六パーセントに達しているものであり、大分クラブもこれらの先例を基として策定されたものであり決して過大なものではなく、予想売上高さえ確保できれば、右のごとき売上高純利益率の実績は容易に達成し得たものなのである。勿論、右目論見書作成時は日本経済が最高潮に達した時期でありその予想値も今から考えれば楽観的にすぎたとの評もなし得ようが当時大分の人がオイルショックを予想できなかつたことからも窺えるとおり、当時においてはかかる予想値も容易に達成し得るものと考えられたのである。因みに、住友生命との間の賃料の取り決めにあたつても、年率一一パーセントという高上昇率が当事者になんらの疑問もなく受け入れられたことからしてもその間の事情を窺うことができるのである。

(四)については、(1)の<1>の昭和四六年度から昭和五一年度までの各年度の国鉄広島駅の乗降人員が別紙一九の1表のとおりであり、広島鉄道管理局の旅客輸送人キロが別紙一九の2表のとおりであることは認めるが、主張の趣旨は争う。<2>のうち昭和四六年から昭和五一年までの各年の広島市の観光客数が別紙一九の3表のとおりであることは認めるが、主張の趣旨は争う。<3>のうち昭和四六年から昭和五一年までの各年の広島市の宿泊数が別紙一九の4表のとおりであることは認めるが、主張の趣旨を争う。<4>の主張は争う。被告主張の右各数値によつても飛躍的上昇というものではなく、横ばい程度にすぎない。(2)の主張は争う。広島市におけるホテル宿泊施設の新設による供給過剰とこれに伴う過当競争の激化は明らかであり、広島クラブにおいても、業績悪化が必至と予想されたものであり、開業後第一期には宿泊人数の実績値において計画値を辛うじて達成できたものの、昭和四九年一一ころからは減少傾向が顕著となり以後第二期、第三期と進むにつれ、その減少は急激となり、特に第三期に至つては宿泊人数の対計画値の表は五三・七パーセントにまで低落するに至つたものなのである。かかる実情よりすれば、供給過剰ではないとする被告の主張は理由のないことが明らかである。

(五)のうち(1)の主張は趣旨は争う。(2)のうち、鹿児島市における登録ホテルの状況が別紙二〇のとおりであることは認めるが、主張の趣旨は争う。単に登録ホテルのみの宿泊施設の状況を論ずることは無意味であり、それ以外のビジネスホテル等を含めた宿泊施設は、昭和四八年ころから急激に増加しているものである。

6  同6の(一)、(二)の主張は争う。

7  同7の(一)の(1)ないし(3)の主張は争う。過去としては、旧委託契約による賦課金の算定基準によつては行き詰まりをきたし、到底経営が成り立たないことが明らかとなつたため、これを期首に遡及させたものであり、これが有効なことはいうまでもないところである。(二)の主張も争う。

九  原告の再々反論

被告は、原告が過去から社債発行によつて調達した資金のみならず、その株主発行によつて調達した資金についてもそのほぼ全額を借り入れて、運用し、右借入金のすべてに対し、年利一〇パーセントに相当する利息を付し、これに係る支払利息が社債権者に対して支払うべき社債利子に相当するものであるとする原告の主張は失当であると主張する。

しかしながら、原告の関係各子会社からの借入金について社債発行によるものだけでなく、株式発行によつて調達したものについても利息を支払う必要があつたのは、次の理由によるものである。

1  第一に、原告が関係各子会社から徴求する賦課金は著しく高額であつたため、これが関係各子会社にたいして荷重な負担となつていた。これは、原告の収益力が低いにもかかわらず、金融機関等から借入れを起こすめに利益を計上する必要があり、このために関係各子会社の利益を吸い上げる方法をとらねばならなかつたことによるものである。このことは、別紙二一の「同業他社との比較に基づく法華クラブの賦課金の妥当性について」から明らかなように、賦課金が同業他社における場合と比較しても二・一倍から四・六倍に達していることからも認められるところである。

2  第二に、このように賦課金が著しく高額であつたため関係各子会社は、貸付金に対する利息を収得しなければ存続維持ができなかつたのである。

3  第三に、関係各子会社の営業成績自体も前記のとおり極度に悪化し、無利息の保証金を預託する余力など存しなかつたものである。

一〇  原告の再々反論に対する被告の認否

原告の再々反論は争う。原告が関係各子会社から徴求する賦課金と原告が引用する同業他社の賦課金(チエーン・フイー)は、次に述べるとおり、それぞれ構成要素及び経営態様に適合する金額を異にするものであるから、両者の比較を根拠とする原告の右主張は、前提を欠き失当である。

1  原告が同業他社の賦課金として引用する別紙二一の東急イン・グループほか三グループの方式による賦課金の金額は、経営指導料及び広告負担金を構成要素として算出されている。

これに対して、原告が関係各子会社から徴求する賦課金は、旧委託契約によれば、<1>地代相当部分<2>家賃相当部分及び<3>売上スライド部分を構成要素として、算出されているのである。

右賦課金のうち、地代相当部分及び家賃相当部分は、関係各子会社の使用する土地及び建物の取得価額等を基礎に算出され、売上スライド部分は原告本部の一般管理費用と営業外費用の予算合計額を基礎に算出されているのである。

右のように、原告の引用する同業他社の賦課金と原告が関係各子会社から徴求する賦課金とは、その構成要素を全く異にしているのである。

2  さらに、経営態様をみると、原告は関係各子会社の本社機能を原告自ら遂行しており、関係各子会社の経営のために必要な総務及び財務に関する一切の費用(全役員の報酬ほか総務及び財務の業務に従事する者の人件費を含む。)を原告が一括して負担しているのであり、原告と関係各子会社とは、特異な経営態様を有しているのである。

したがつて、原告が関係各子会社から徴求する賦課金のうち地代相当部分及び家賃相当部分を除いた売上スライド部分の金額には、関係各子会社の経営管理のために必要な総務及び財務に関する費用相当額が含まれているのであるから、同業他社の賦課金の金額に比して、賦課金が高額になるのは当然なのである。

第三証拠

当事者双方の証拠の提出、認否及び援用は本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

一  請求原因1、2の各事実(本件係争各事業年度の課税処分の経緯等)は、いずれも当事者間に争いがない。

二  本件係争各事業年度の所得のうち当事者間に争いのない事実について

1  (昭和四九年七月期の所得について)

別紙二の1表(昭和四九年七月期分課税所得の計算表)のうち<1>ないし<15>欄記載の各金額は、当事者間に争いがなく、また、同表の<16>欄記載の寄付金の損金不算入額の算出過程を記載した別紙三の1表のうち、試験研究法人等への寄付金額(同表の2欄)が一二〇万円があること及びその他の寄付金額(同表の3)二七八一万八一六二円中、申告にかかる額二九七万四〇〇〇円、当初更正にかかる加算額三七万五〇〇〇円は、いずれも当事者間に争いがなく、原告は、同表の3欄中、右各寄付金を除くその余の寄付金額(別紙四の1表の合計欄)二四四六万九一六二円についてのみ、これを寄付金に該当しないとして争つているものである。

2  (昭和五〇年七月期の所得について)

別紙二の2表(昭和五〇年七月期分課税所得の計算表)のうち<1>ないし<9>欄記載の各金額は、当事者間に争いがなく、また、同表の<10>欄記載の寄付金の損金不算入額の増加額の算出過程を記載した別紙三の2表のうち、支出した寄付金額(同表の3欄)二〇一五万五九三〇円中、申告にかかる額一七六万〇二〇〇円、本件更正分のうち財団法人立正育英会及び風雪近代政経研究会に対する寄付金額一八万円は、いずれも当事者間に争いがなく、原告は、同表の3欄中、右各寄付金を除くその余の寄付金額(別紙四の2表の合計欄)一八二一万五七三〇円についてのみ、これを寄付金に該当しないとして争つているものである。

3  (昭和五一年七月期の所得について)

別紙二の3表(昭和五一年七月期分課税所得の計算表)のうち<1>ないし<3>欄記載の各金額は、当事者間に争いがなく、また、同表の<4>欄記載の寄付金の損金不算入額の増加額の算出過程を記載した別紙三の3表のうち、試験研究法人等への寄付金額(別紙三の3表の2欄)が二六六万九一六〇円であること、その他の寄付金額(同表の3欄)九〇〇四万八一六二円中、申告にかかる額一四七万五二七円及び本件更正分のうち系列会社が負担すべき四恩育英会に対する寄付金額一二三万〇八四〇円は、いずれも当事者間に争いがなく、原告は、同表の3欄中、右寄付金を除くその余の寄付金額(別紙四の3表の合計額)八七三四万二〇四五円についてのみ、これを寄付金に該当しないとして争つているものである。

三  そこで、以下、まず、本件係争各事業年度の寄付金額中、昭和四九年七月期ないし昭和五一年七月期の各「保証金の運用益相当額の寄付金」(別紙四の1ないし3の各該当欄)につき、これが寄付金に該当するかどうかについて判断する。

1  本件処分は、以下のような争いのない事実に基づいてされたものである。すなわち、原告は、ホテルの経営を業とするものであるが、大分店、広島店を開設するにあたり、原告の全額出資により昭和四八年三月一六日大分クラブ(資本金一億円)、同年八月一五日広島クラブ(資本金二億円)をそれぞれ設立し、また、従前から経営する鹿児島店についても同様に、原告の全額出資により昭和四九年二月一五日鹿児島クラブ(資本金七〇〇〇万円)を設立したうえ、原告は、昭和四八年八月一日日付で大分クラブと、同年九月一日日付で広島クラブと、昭和四年二月二五日付で鹿児島クラブとそれぞれ各店舗の管理運営に伴う関係各子会社の一切の義務の履行を担保するための保証金(以上合計一億八二一五万七三〇〇円)として、原告に無利息で預託されるべきものとされていた。しかるに、原告は、右の預託を受けるべき保証金(債権)を関係各子会社に対する未収金勘定(借方)に計上するとともに、右保証金(債務)を関係各子会社に対する長期預り金勘定(貸方)に計上する経理処理をしており、関係各子会社においても、それぞれ原告に預託すべき右保証金担当額を原告に対する負債として未払金勘定(貸方)に計上するとともに、右金額と同額を原告に対する債権として敷金勘定(借方)に計上する経理処理をしていた。その後、原告は、関係各子会社との間において、昭和五一年六月三〇日付で新委託契約を締結して旧委託契約を解除したが、新委託契約においては、当該契約を昭和五〇年八月一日に遡つて締結したものとすることとされており、旧委託契約にあつた保証金預託条項は削られているうえ、昭和五一年一一月一日付覚書によつて、本件保証金の預託は旧委託契約で定めた預託すべき日まで遡つて取り止める(免除)ものとされている。そして、原告及び関係各子会社が経理上作成している振替伝票の記載において、原告は昭和五一年七月三一日右保証金の未収金の額と長期預かり金の額とを相殺処理し、また、関係各子会社も同日右保証金の敷金の額と未払金の額とを相殺処理する一方、原告は関係各子会社から別紙五の1ないし3表記載のとりの金員の借入れを行い、これについて年利率一〇パーセントに相当する額を支払利息として費用の額に計上する経理処理をした。

2  被告は、右の事実に基づいて、原告がその支配下にある関係各子会社から旧委託契約に基づき合計一億八二一五万七三〇〇円の金員を保証金として無利息で預託を受け、これを手元として運用する権利、利益を有していたにもかかわらず、これを未収金に計上したうえ新委託契約を締結するなどして、同年七月三一日右保証金の未収金の額と長期預り金の額とを相殺処理し、保証金の預託を免除したばかりでなく、右金額を上まわる金員をそれぞれ当該関係各子会社から借入金として受け入れ、これに対して年利率一〇パーセントに相当する利息を付しているのであるから、原告は、本件保証金を未収金として計上し預託を免除したことによつて、右金員の運用による収益に相当する経済的利益、すなわち、右金員の利息相当額を当該関係各子会社に無償で供与したこととなるとして、右経済的利益の供与を寄付金としての支出と認め、本件処分をしたものである。

これに対し、原告は、本件保証金を未収としたのは、旧委託契約書中の保証金条項がそもそも当事者間においてこれを現に履行する意思を欠いたまま規定された法的拘束力のない単なる例文にすぎないものであつたためであり、仮にこの点を措くとしても、右のような措置をとつたのは、原告の子会社である関係各子会社の倒産を防止するなどの目的によるものであつて、右措置には経済的合理性があつたものであると主張している。

3  そこで、まず、旧委託契約に含まれている本件保証金預託条項が法的拘束力を有していない例文というべきものであるかどうかについて判断する。

(一)  最初に、右保証金預託条項がそれ自体において不当であつて、当事者においてこれに拘束される意思を伴わない例文と解釈すべきものであるかどうかについて検討する。

(1) 成立に争いのない甲第七号証の一ないし三によると、原告と関係各子会社間の各旧委託契約においては、業務の受託者である関係各子会社は、委託者である原告に対し、当該契約に基づく一切の義務の履行を保証するために前記各保証金を無利息で預託し、原告は、右保証金について、右契約が終了した後、関係各子会社の原告に対する債務があるときは、これを控除して、残金を関係各子会社に返還するものとされていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(2) 右各保証金の額については、大分クラブの場合は、大分店の建物及び内部造作設備一式の賃貸人である住友生命に賃借人である原告が差し入れた敷金の額と同額にしたものであり、広島クラブの場合は、その施設が原告の所有であつたので、土地建物の取得費の額を基礎として、これに住友生命が採用している敷金の算定方法と同様の算定方法を用いて敷金相当額を算出し、これによつたものであり、鹿児島クラブの場合は、建物賃貸人である住友生命に賃借人である原告が差し入れた敷金の額に、原告が設置し所有する内部設備の工事費の額を加えて算出した金額であることは、当事者間に争いがない。

(3) 右保証金の預託条項は、格別密接な関係を有しない取引当事者の間で本件のような業務委託契約を締結する場合に、業務委託料の支払い、ホテル自体の維持管理とその返還請求権等を担保する目的で、通常、受託者に差し入れが要求される形式内容のものと認められる(なお、このことは、当事者間に争いがない。)。

以上の事実によれば、旧委託契約において保証金を預託するものとしたこと、その返還の方法に関する定め及び右保証金の額の算出方法とその算出した額は、いずれも合理的なものと認められ、かつ、右保証金の預託は業務委託をするについて通常行われる形式及び内容のものと認められるのであるから、右契約条項それ自体には、当事者の一方に対してその履行を強制することが著しく不公平かつ不当であるためこれをいわゆる例文と解さなければならない事情は見当たらないものといわなければならない。

(二)  次に、原告は、原告及び関係各子会社の設立の経緯、出資の状況、運営の形態等に照らせば、原告が関係各子会社に対して保証金を預託させる合理性も必要性もなかつたものであるから、本件保証金預託条項は、当事者間においてはこれを履行する意思がなく、単に住友生命をはじめとする取引関係及び金融機関に対する信用を維持するため、契約面を整える目的で設けられたにすぎないものであると主張する。

(1) そこで、原告と関係各子会社の設立の経緯についてみると、証人小島信定(第一)の証言により成立の認められる甲第一ないし第六号証並びに同証人(第一)、同岡野宗男及び同佐野泰正の各証言によれば、以下の事実が認められる。すなわち、原告は、日蓮宗の布教師であつた小島愛之助が、信徒に宿泊の便宜を供することを目的として、大正九年に京都駅前に旅館法華倶楽部を開設したことに始まるのである。この開設資金は、信徒からの出資でまかなわれ、原告の経理上、特定借入金として処理されて、出資した信徒には利息が還元されてきた。ところが、右特定借入金に対する利息の支払いについて、税務当局から、それは消費貸借金に対する確定利息の性質を有するので、配当等と異なり源泉徴収手続ができないとの見解が示されるに至り、他方、出資者からは源泉徴収によつて税金を徴収する方式をとつてもらいたいとの要望がされたため、原告は、右特定借入金を、配当について源泉徴収の可能な社債の形式に変換していくこととした(特定借入金の利息の課税徴収方法について、税務当局が、これは消費貸借金に対する確定利息であるので源泉徴収手続ができないとの見解を示したことは、当事者間に争いがない。)。そして、原告は、昭和四五年九月資本金に見合う四五〇〇万円の社債を発行し、昭和四六年一月総額引き受けにより手続きを完了したが、特定借入金の残高は昭和四六年一月未時点でなお一七億七三九六万円あり、その金額を原告発行に係る社債に転換することは、原告の資本金の額に照らして不可能であつたため、新たなホテルを開設するについて子会社を設立し、これに社債を発行させて転換を図つていくこととした。原告は、この方針に従つて、関係各子会社を設立して社債を発行させたが、その払込みについては、原告の特定借入金の返済額が充てられて、特定借入金の社債への転換が図られたほか、新規に払込のなされたものもあつた。右のとおり、当初、関係各子会社は社債発行の目的のための完全な名目上の株式会社として設立することを計画されたが、後に、原告の委託により各ホテルを管理運営する独立した子会社として設立するものとされた。以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(2) 次に原告と関係各子会社との出資、運営及び経理の状態についてみると、証人小島信定の証言(第一回)によれば、以下の事実が認められる。すなわち、関係各子会社は、いずれも親会社である原告が一〇〇パーセント持株を有する子会社で、その各本店所在地はいずれも原告の本店所在地と同一であつて、その各代表者はいずれも原告の代表者と同一であり、その他の各役員も原告のそれと共通している(右の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。)。また、関係各子会社の経理は実際には原告の経理部門が行つており、関係各子会社には、原告の社員が出向した形式にとつて勤務している。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(3) 右の各事実によれば、関係各子会社は、当初は、原告の特定借入金を社債に転換することを主たる目的として設立されたもので、資本及び営業の形態に照らしても、原告の完全な支配下にある子会社であると認められるが、他方、これらは名目のみの会社(いわゆるペーパーカンパニー)ではなく、各ホテルの経営の主体として独立した機能を有する会社として設立され、現に原告との間の委託契約に基づき各ホテルの経営を行つているものであり、このようなことに、前記のとおり、右保証金預託条項自体は、ホテルを有する者がこれを他に業務委託する場合に委託料等を担保するため通常受託者に要求する形式内容のものであつて、保証金の額の算出方法も合理的なものであり、算出額も妥当なものであること、原告と関係各子会社とも右保証金の預託については、これを債権債務であるとして経理処理していること、そのほか特に右条項について契約当事者間にその履行を考えていなかつたことを窺わせる何らの事情もなかつたことは後記のとおりであることを合わせ考えると、原告と関係各子会社が旧委託契約締結の際に保証金預託条項の履行につきその意思がなかつたと認めることはできないものといわなければならない。

また、原告は、右保証金はこれを預託させる必要性を欠いていたというが、本件のような義務委託契約において一般的に保証金を預託させる必要性のあることは、前示のとおりであり、本件において特にその必要性が欠けていたとすれば、およそ保証金を預託させる条項はこれを設けなかつたはずであるというべきであるのに、本件においては、現実に右預託条項が設けられ、これに基づいて経理処理が行われているのであるから、原告が主張するように、必要性がなかつたとすることはできないものといわなければならない。

なお、証人小島信定の証言(第一回)には、右条項は当初から当事者においてこれを履行する意思を欠いていたもので取引関係や金融機関に示すために単に契約面での体裁を整えたにすぎないものであるという原告の主張に沿う供述があるが、取引関係や金融機関に関係各子会社の信用を確保する必要があつたとの事実は、むしろ、右契約条項を設け、これを履行する意思を有したことの裏付けとなるものというべきであつて、右意思を有しなかつたことを推認させる事実ということはできないのであるから、同証人の右供述部分は、これを措置することができず、他に右条項について契約当事者間においてその履行を考えていなかつたことを窺わせる事情を証すべき証拠はなんら存しない。

(三)  原告は、新委託契約においては、保証金預託条項を設けていないが、このようなことは通常あり得ないことであるから、そのこと自体、旧委託契約における保証金預託条項が本来不必要かつ無意味であり、例文にすぎなかつたことを推測させるものであると主張するが、しかし、新委託契約において保証金預託条項を設けなかつたのは、単に方針を変更したというに過ぎないものであるから、これをもつて直ちに、旧委託契約上の保証金預託条項が例文に過ぎなかつたものとすることはできないのみならず、証人小島信定の証言によると、新委託契約に保証金預託条項を設けなかつた理由は、関係各子会社において保証金を預託できる経営状況にないと判断したこと及び原告と関係各子会社との間においては保証金の預託は不必要であると判断したことによるものであると認められるのであるから、原告の右主張は失当である。

(四)  更に、原告は、昭和四九年六月二八日の取締役会において保証金の預託を受けないことを決議しており、右決議は右保証金預託条項が実質上空文で、拘束力のないことは確認する趣旨に出たものであると主張する。

(1) 確かに、昭和四九年六月二八日付けの取締役会議事録(甲第一〇号証)によると、「・・・・当社が此第三子会社に対してホテル管理運営を委託した趣旨、並びに契約書項目中にある如く、売上代金を全額当社の預金口座に振込入金せしめ、かつ又、転借権その他独立した占有権限を与えていないことを始めとして一般世間でいういわゆる保証というものが建築協力金的性格であり、近時此の保証金の預託をビルテナントにおいて廃止されているケースが多い事等を勘案した時、一〇〇パーセント出資の此第三子会社より保証金を取る必要性は全くなく、子会社の育成に対して親会社の責任であることを銘記した時、経営体質の基盤の弱い此等子会社からは保証金を受け取られないこととしたい旨の説明を行い、出席各役員に諮つたところ、全員異議なく決定した。」との記載がなされているが、右書面の記載からは、右取締役会において原告と関係各子会社との業務委託の内容や保証金の性質など種々検討のうえ保証金を預託させないこととする旨の提案が可決されたことが認められることに過ぎずこれを超えて、原告の取締役会が、保証金預託条項が当初から法的拘束力を有しないことを確認したとまでは認めることはできない。

(2) しかも、右取締役会決議の日付については、次のような重大な疑問がある。すなわち、原告及び関係各子会社の本件保証金の預託に関する経理処理については、前記のとおり、新委託契約締結後である昭和五一年七月三一日に至つてはじめて関係各子会社に対する保証金の未収金の額と長期預り金の額とを相殺処理し、関係各子会社も同日右保証金の敷金の額と未払金の額とを相殺処理しているのであつて、仮に昭和四九年六月二八日に右のような取締役会決議がなされたのであるとすれば、何故昭和五一年七月三一日まで相殺処理が延引したのかについて到底合理的な理由は見い出し得ないのである。

この点について、原告は、保証金の預託については債権債務の両建てであつたためそのまま見過ごした経理処理の誤りにすぎないと主張し、証人小島信定(第一回)、同岡野宗男もこれに沿う証言をするが、右取締役会議事録(甲第一〇号証)によれば、右取締役会には代表取締役及び取締役であり原告の財務部長である小島信定外六名の取締役が出席したこととされており、また、右署名は原告の経理を担当する岡野宗男の作成にかかるものであり(このことは証人岡野宗男の証言によつて認められる。)、しかもその作成日付は昭和四九年七月期の決算期に近接した同年六月二八日であつて、その内容も原告及び関係各子会社の経理処理に重要な影響を及ぼすものであることからしても、昭和四九年七月期、昭和五〇年七月期の各期においても右決議に沿つた経理処理がされないまま決算書類が作成され、これに基づいて税務申告がされたということは、極めて不自然なことといわねばならないのである。そうすると、ひいては、昭和四九年六月二八日に右取締役会決議がされたとすること自体に疑問が生じ前項各証拠によつてはこのことを認めることができないことに帰し、他に右時期に右取締役会決議がされたことを認めるに足る証拠はないこととなるのである。

以上によれば、旧委託契約の保証金預託条項が法的拘束力を持たない例文であつたとは到底認められないというほかはない。

4  原告は、昭和四九年六月二八日の取締役会決議において保証金の預託をやめることを決議したので、右時点以後においては、旧委託契約の保証金預託条項は失効したものと解すべきであると主張する。

しかしながら、昭和四九年六月二八日に右取締役会決議がされたこと自体認めるに足りないことは、前記3(四)(2)記載のとおりであるから、原告の右主張は理由がないものというべきである。

5  そこで、次に保証金を未収として関係各子会社から借入れを受け、これに対し年利率一〇パーセントの割合による利息を付したことには経済的合理性があるから、右経済的利益の供与は寄付金に該当しない旨の原告の主張について判断する。

(一)  まず、法人税法三七条五項の規定によれば、寄付金とは、その名義のいかんを問わず、金銭その他の資産又は経済的利益の贈与又は無償の供与(広告宣伝費、見本品費、交際費、接待費、福利厚生費等に当たるものを除く。)であるとされているところ、本件のような保証金の預託の場合も、その預託を受ければ、その預託の期間中金銭の運用益を保有することができるのであるから、原告が関係各子会社にこの預託義務を免除すれば、原則として、原告の有する保証金の運用益相当額の経済的利益(収益)を関係各子会社に無償で供与したこととなるというべきであり、この場合、右の供与した経済的利益の価額がいくらであるかは、右の預託すべき金額に相当と認められる利率(この相当と認められる利率の認定に際しては、本件のように、原告が関係各子会社から逆に金員を借り入れ、これに利息を支払つているような場合には、右利息の利率が参考となる。)を乗じ、更に預託期間を乗じて決せられることになるものというべきである。

そして、右のような経済的利益の供与は、これが無償でなされた場合には、原則として寄付金に該当することとなるというべきであるが、その供与をする者が、右経済的利益の供与によつて、これと対価的意義を有する何らかの経済的利益を受けることとなると認められる場合(この場合には、そもそも無償の供与に該当しないとされる場合もあり得よう。)であるとか、右経済的利益の無償の供与をすることによつて、直ちに対価的意義を有する利益を得るものではなくとも、これをすることに合理的な経済的目的が存すると認められる場合であるというようなときにはその利益の供与を寄付金と認めるのは相当でないということができるところ、原告は、本件保証金預託義務の免除の措置についての合理的な経済的目的の有無の判断に際しては、法人税基本通達九-四-二の規定の趣旨に照らし具体的事情に即してされるべきであると主張する。原本の存在及び成立に争いのない甲第三九号証の一ないし三、第四〇号証によれば、昭和五五年五月一五日付直法二-八通達「法人税基本通達等の一部改正について」をもつて新設された通達九-四-二(無利息貸付等)によると、「法人がその子会社等に対して金銭を無償又は通常の利率よりも低い利率で貸付けた場合においても、その貸付が例えば業績不振の子会社等の倒産を防止するために緊急に行う資金の貸付で合理的な再建計画に基づくものである等その無償又は低い利率で貸付けたことについて相当な理由があると認められるときは、その貸付は正常な取引条件に従つて行われたものとする。」と定められたが、右規定の新設された趣旨は、法人が子会社等に対して金銭を無利息又は通常の利率よりも低い利率で貸し付けた場合に、通常収受すべき利息と実際に収受している利息との差額については、特段の事情のない限り、税務上寄付金として子会社の取り扱われていたところ、親会社のなす業務不振の子会社の倒産防止のための貸付金など経済的合理性のある場合について、これをも寄付金として取り扱うことは実態に即さないので、合理的な理由に基づく低利又は無利息貸付けについては税務上も正常な取引条件に従つて行われたものとして取り扱い、寄付金としての課税をしない旨を明らかにしたものであることが認められる。右事実によれば、右通達は、親会社の子会社に対する無利息又は低利率による貸付けについての税務当局の取扱方針を定めたものであり、本件保証金の預託の免除のように既に発生している債権についての免除の場合を定めたものではないから、右通達が本件に直接適用されるものではないが、親会社の子会社に対する援助措置で個別的具体的に経済的合理性の認められるものは、結局のところ対価を見込んだものということができ、これを寄付金として取り扱うべきではないということができるから、右通達の趣旨とするところは、当然のことというべきであり、本件においても、右の趣旨と同様の見地に立つて判断することとする。

なお、原告は、親子会社の関係において、親会社が経営不振の子会社に対し、無利息融資ないし貸付金の利息減免等の措置をとることは極めてしばしば行われており、税務行政の運用も極めて柔軟かつ具体的事情に即して行われているとして、函館ドッグ、永大産業、東海観光、不二サッシュ工業、日本ドリーム観光、安宅産業等の事例をあげるが、税務当局の運用のいかんは、もとより、裁判所の判断を拘束するものではなないから、右主張はそれ自体失当であるばかりでなく、成立に争いのない甲第四一号証の一ないし三、乙第二二、、第二三号証の各二、三、第二四号証の二、第二五号証の二、三、原本の存在及び成立に争いのない甲第四一号証の一、二、証人佐野泰正の証言により成立の認められる甲第三五号証の一、二並びに同証人の証言によると、原告のあげる右各事例は、いずれも金融機関ないし取引関係からの利息の減免を受けるなどしたものであり、このうち函館ドッグ、永大産業、東海観光は、いずれも経営が破たんし、幹事銀行の管理の下に具体的な再建計画に基づきその再建計画の一環としてされたものであることが認められるが、他の事例については右措置のされた事情は明らかでなく、また、右各事例のいずれにおいても、法人税法の所得金額の計算上経済的利益の供与とされたか否かの点は明らかでないから、これらによつては、税務行政の運用が極めて柔軟にされているとの原告の主張を裏付けるにも足りないものというべきである。

(二)  原告は、保証金を未収としたことと、関係各子会社から借入れをし、これに対し年利率一〇パーセントの割合による利息を付したこととの間には関連性がなく、関係各子会社から借入れをし、これに利息を付したこと自体は経済的合理性を有すると主張する。すなわち、原告は特定借入金に換えて社債を発行するために関係各子会社を設立したものであつて、原告の特定借入金から関係各子会社の社債に振り替えられた資金は、関係各子会社から原告に対する借入金とすることによつて本来の使途に運用されるものであり、原告が関係各子会社から受け入れた借入金の源泉は、もともと、原告が日連宗寺院及び信徒から預託を受けた特定借入金そのものであり、原告の関係各子会社からの借入金は、原告による寺院信徒からの直接の特定借入金に代わり子会社の社債発行を経由して受け入れたことになるのであるから、本来、原告の運用にのみ供されるものであり、子会社からの借入れの形式をとるものの、その実質は原告がこれをすべて運用するものである以上、原告が社債権者に対する利息の支払相当分として借入金につき利息を支払うことは当然のことであつて、経済的合理性を有すると主張する。

しかしながら、原告が保証金の預託に関してした措置のうち寄付金に該当する利益の給与が保証金の預託の免除をしたことであることは、前記2(一)のとおりであつて、もとより、原告が関係各子会社から金員を借入れてこれに利息を付したことそれ自体が寄付金に該当するものでなく、このことは、預託金の免除が無償の利益を供与したものとされた場合におけるその経済的利益の額の認定を左右するものにすぎないものであるから、原告の右主張はそれ自体失当であるといわなければならない。

(三)  次に、原告は、関係各子会社に対する本件保証金の未収の措置は、関係各子会社の経済的苦境を援助し、その倒産を回避するためにしたものであつて、必要不可欠な措置として経済的合理性を有すると主張する。そこで、以下、関係各子会社ごとにその主張の合理性があるかどうかについて判断する。

(1) 大分クラブについて

<1> 原告と大分クラブとの間の旧委託契約によれば、原告は大分店の営業開始日である昭和四八年一一月一六日に三五四〇万円を保証金として無利息で預託を受けるべきものとされていたところ、実際には右期日に右保証金の預託がなかつたこと、大分クラブでは、昭和四八年三月一六日から同年五月一七日までの間に別紙一六の1表記載のとおり株式払込み及び社債払込みとして合計一億七七七七万七八九八円の資金を調達し、他方、同年三月一八日から同年一〇月一日までの間に別紙五の1表記載のとおり合計一億七七六二万七八九八円を原告に貸し付けたことは、当事者間に争いがない。

右事実によれば、大分クラブは、右貸付金債権のうちから三五四〇万円を保証金預託債務に充当する経理処理をすれば、容易に右預託債務を履行することができたものというべきである。

<2> 原告は、右保証金を預託しなかつた理由につき、昭和四八年一〇月のオイルシヨツクによる大分市の経済不況及びホテル宿泊施設の乱立等により、保証金預託日である開業日において、開業後大分クラブの経営状況が悪化することが明らかであつたことによるものであり、現に開業後の営業状況が悪化し保証金を預託することはできなかつたものであると主張する。

(ア) 証人岡野宗男の証言によると、大分クラブの昭和四九年七月期から昭和五一年七月期までの営業成績は、別紙六「計画実績対比表」中第二期ないし第四期の「実績値」欄記載のとおりであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によれば、大分クラブの昭和四九年七月期ないし昭和五一年七月期の各期営業収支は、二八〇八万円、五八八五万円、二二五五万円の各損失であつたこと、右各期の営業一日当たりの宿泊人数は、それぞれ、一三七・三人、一〇三人、一〇九・一人であつたことが認められる。

(イ) 次に、大分市の経済状況についてみると、

(ⅰ) 大分市は、昭和三九年新産業都市に指定され、新産業都市基本計画に基づく大分臨海工業地帯建設の第一期計画(埋立面積三二二万坪)は、昭和四七年四月新日本製鉄株式会社大分製鉄所の第一号高炉の火入れをもつておおむね完了し、引き続き昭和四八年一一月からは第二期計画のうち三井造船株式会社等が進出する七号地(六三万二〇〇〇坪)の埋立て、昭和四九年六月からは六号地(九七万三〇〇〇坪)の埋立てがそれぞれ開始され、七号地については昭和五三年度中にほぼ完了し、多数の企業の進出が認められ、右新日本製鉄株式会社大分製鉄所についても昭和四六年六月発足し昭和四七年四月に第一号高炉を完成して火入れを行い、その後昭和四八年一〇月には第二号高炉に着工し昭和五一年一〇月に完成したこと、大分市の工業出荷額は別紙一八の1表記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。

また、成立に争いのない乙第三号証、第五号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第四号証、弁論の全趣旨により原本の存在及び成立の認められる甲第三八号証の一、二、六及び七並びに証人佐野泰正の証言によると、大分新産業都市第二期計画の七号地については、三井造船が昭和五一年三月末に引渡しを受ける予定であつたが、同社は昭和五〇年三月一六日大分県知事に対し、造船不況を理由として昭和五四年末まで引渡しを延期するよう要望したこと、新日本製鉄二号高炉は昭和五一年二月に完成し火入れの予定であつたが、同年一〇月に完成が延期されたこと、大分新産業都市計画は、そのうち第一期計画分は順調に進んだものの、第二期計画分は、当初の予定と比べ大幅な遅れが生じたことが認められ、右認定を左右する証拠はない。

(ⅱ) 大分市の昭和四六年から昭和五一年までの各年の宿泊客数が別紙一八の2表のとおりであることは、当事者間に争いがない。

(ⅲ) 右の各事実によれば、大分市においては、新産業都市計画の第二期計画の実施にあたつて、昭和四八年一〇月のオイルシヨツクの影響による企業の進出の遅れ等はみられたものの、工業出荷額は、昭和五〇年に一時減少はあつたが、昭和四七年から昭和五一年にかけて大勢としてはほぼ順調に増加しており、また、市内の宿泊客数もこれに伴い、昭和五〇年に一時前年度より減少したものの、昭和四七年から昭和五一年にかけて大勢としては大幅な増加がみられるのであり、これによれば、昭和四七年から昭和五一年にかけて、大分市が地域的に不況となり、これに伴い宿泊客が急激に減少したことはなかつたというべきである。

原告は、別紙九の「大分市宿泊施設需給関係図」中の「大分県立地動向推移の伸び率」、「大分鉄道管理局旅客輸送状況」及び「大分市宿泊客数」の各グラフによれば、これらは昭和四八、九年中に頭打ちとなつて、それ以後急激に低下しているというが、右各数値の推移は前記認定を覆えすに足りないものといわなければならない。

(ウ) 大分市の宿泊施設の状況についてみると、従来、同市における国際観光ホテル整備法に基づく登録ホテルは、昭和四六年九月開店の大分西鉄グランドホテル(客室数二二〇室)のみであつたが、その後、昭和四九年六月に大分第一ホテル(客室数一三九室)、同年一二月に大分セントラルホテル(客室数一一七室)が営業を開始したこと、大分保健所長からホテル営業の許可を受けているホテルの昭和四六年から昭和五二年までの間の設置状況等が別紙一八の3表記載のとおりであることは、当事者間に争いがなく(但し、別紙一八の3表のうちビジネスホテル「とよみ」、同「ほがらか」及び同「水仙」の開設年度を除く。)、成立に争いのない乙第六号証の一、二、小島信定の証言(第二回)により原本の存在及び成立の認められる甲第二三号証の一ないし三、弁論の全趣旨により原本の存在及び成立の認められる甲第三八号証の四、五によると、ビジネスホテル「とよみ」、同「ほがらか」及び同「水仙」の開設年度はいずれも昭和四九年であること、大分クラブが開業した昭和四八年から昭和四九年にかけて、ホテルの新増設が相次ぎ、昭和四九年以降、地元においてもホテル宿泊施設は供給過剰であると認識されており、各ホテルの平均稼働率も全般に低下してきてはいたが、右新増設ホテルのうち原告のチエーン店である大分クラブは、第一ホテルと並び同地ホテル業界の大手であり、特に大分クラブは最も客室が多く、また歓楽街を控えた中心街にあるという好立地条件や大衆的な料金で知名度も高いことから、顧客吸引力がかなり強いとみられていることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(エ) 以上によれば、大分クラブの昭和四九年七月期から昭和五一年七月期までの営業収支は各期とも欠損を計上しており、一日当たりの宿泊数も昭和五〇年七月期、昭和五一年七月期には昭和四九年七月期には昭和四九年七月期に比して減少してもいるうえ、各期の欠損の額も前記のとおりの大分クラブの資本金額と比較して小額であつたとはいえないが、しかしながら、他方、大分市の経済状況は、工業出荷額等を検討しても、昭和五〇年の落込みを除いてほぼ順調に推移しており、また、市内宿泊客数も、昭和五〇年には一時的な落込みがみられるものの、全般的には大幅に増加し、この宿泊客数の増加に伴つて昭和四七年から昭和四九年にかけて一時にホテル宿泊施設数が増加したため、大分市内においては宿泊施設が過剰となり平均稼働率も低下したが、大分クラブは、大分市におけるビジネスホテルとしては全国にチエーン店をもつ最大手のものであり、同市内においては立地条件にも恵まれまた知名度も高いことから、顧客吸引力は強かつたものということができるのであつて、これらのことを総合勘案すれば、原告が大分クラブの開業日である昭和四八年一一月一六日に三五四〇万円の保証金の預託を免除しなければ大分クラブが倒産するおそれのある経営状況にあつたものとは到底認めることができないのみならず、その後昭和五一年六月三〇日の新委託契約締結に至るまで右保証金について未収の措置をとつたことについても、そうしないと大分クラブが倒産するおそれがあつたものと認めることはできず、そもそも原告が大分クラブの倒産を憂慮し、これを防止するために何らかの再建計画を立てていたなどの事実も認められないのであつて、右保証金未収の措置及び後の免除の措置について何らかの経済的合理性があつたことは、これを肯認することができないものというべきである。証人小島信定(第一、二回)及び同佐野泰正の各証言中、右認定に反する部分は右認定事実に照らして採用しない。

<3> なお、原告は、原告が昭和四七年五月三一日に作成した大分クラブの起業目論見書においては、宿泊客の大幅な増加を見込んでおり、昭和四八年一〇月に発生したオイルシヨツクによる深刻な経済不況とインフレにより右の大幅な宿泊客の増加は見込めなくなつたもので、起業目論見書記載の見込値と実績値との間に大きな差があることによれば、大分クラブが保証金を預託できる状況になかつたことが明らかであると主張する。

(ア) 小島信定の証言(第二回)により成立の認められる甲第一九、第二〇号証及び同証人の証言(第二回)によると、原告の取締役である小島信定は、昭和四七年大分クラブを開設するにあたり、大分市に赴き大分市内の需給状況を調査のうえ、同年五月三一日付報告書において、今後とも宿泊客数が増加しかつ昭和四六年の供給室数が不変であるとすると、昭和四八年には二室、昭和四九年には七四室の室数が不足することとなるとし、これに基づいて作成した起業目論見書において、別紙六の第二期ないし第四期の各計画値欄記載のとおりの目論見をしたが、右各計画値によれば、大分ホテルへの投下資本は昭和五一年七月期末までにこれを回収できるものとされていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(イ) 右起業目論見の各計画値と実績値との間に違いがあることは、原告主張のとおりであるが、右起業目論見書によれば、大分クラブの営業利益(当期純利益)について、昭和四九年七月期ないし昭和五一年七月期につきそれぞれ四〇八〇万九〇〇〇円、六一三〇万六〇〇〇円、六五九〇万一〇〇〇円を見込んでおり、その各売上高純利益率(売上高に対する純利益の割合)はそれぞれ、二〇・九パーセント、二〇・六パーセント、二〇・五パーセントという極めて高いものであつて、開業後三年以内に投下資本を回収するという計画であるところ、成立に争いのない乙第一〇号証の一、二によれば、ホテル業界の売上高純利益の目標基準値は三パーセントを目安としていることが認められ、右認定を左右する証拠はない。右の業界における目標基準値と原告の右目論見上の計画値とを対比すると、原告の計画値は極めて楽観的な数値であつて、およそ原告の右目論見上の各数値に合理性があるものとは認められず、右計画値と実績値とを対比して大分クラブの経営状況を判断することは到底できないものといわざるを得ない。原告の右主張は採用することができない。

<4> 以上によれば、原告が大分クラブに対してした保証金の未収及び免除の措置については、経済的合理性を認めることができず、右措置は経済的利益の無償の供与であつたものというべきである。

(2) 広島クラブについて

<1> 原告と広島クラブとの間の旧委託契約によれば、原告は広島店の営業開始日である昭和四八年一〇月八日に一億一〇四五万七三〇〇円を保証金として無利息で預託を受けるべきものとされていたところ、実際には右期日に右保証金の預託がなかつたこと、広島クラブでは昭和四八年八月五日から昭和五〇年六月一九日までの間に別紙一六の2表記載のとおり株式払込み及び社債払込みとして合計三億六一九五万五六五八円の資金を調達し、他方、昭和四八年八月二〇日から昭和五〇年六月一九日までの間に別紙五の2表記載のとおり合計三億六一六五万五六五八円を原告に貸し付けたことは、当事者間に争いがない。

右事実によれば、広島クラブは、右貸付金債権のうちから一億一〇四五万七三〇〇円を保証金預託債務に充当する経理処理をすれば、容易に右預託債務を履行ずることができたものというべきである。

<2> 原告は、右保証金を預託しなかつた理由につき、昭和四八年一〇月のオイルシヨツクによる広島市の経済不況及びホテル宿泊施設の乱立等により、保証金預託日である開業日において、開業後広島クラブの経営状況が悪化することが明らかであつたことによるものであり、現に開業後の営業状況が悪化し保証金を預託することはできなかつたものであると主張する。

(ア) 証人岡野宗男の証言によると、広島クラブの昭和四九年七月期から昭和五一年七月期までの営業成績は、別紙七「計画実績対比表」中第一期ないし第三期の「実績値」欄記載のとおりであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によれば、広島クラブの各期の営業収支は、昭和四九年七月期が二八〇万一〇〇〇円の利益を計上していたが、昭和五〇年七月期は二五七三万二〇〇〇円の、昭和五一年七月期は一九一六万九〇〇〇円の各欠損を計上していたこと、右各期の営業一日当たりの宿泊人数は、それぞれ、三九五・一人、二七三・四人、二〇五・四人であつたことが認められる。

(イ) 次に、広島市の経済状況についてみると、

(ⅰ) 国鉄広島駅の昭和四六年から昭和五一年までの各年の乗降人数は別紙一九の1表記載のとおりであり、右各年の広島鉄道管理局の旅客輸送人キロは別紙一九の2表記載のとおりであり、また、右各年の観光客数は別紙一九の3表記載のとおりであり、右各年の宿泊人数は別紙一九の4表記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。

(ⅱ) 右事実によれば、国鉄広島駅の乗降人数は年々増加しており、特に昭和五〇年は昭和四九年に比べ一・一七倍と大幅に増加しているが、このように乗降人数が増加したのは、成立に争いのない乙第一一号証の一、二により認められる昭和五〇年三月一〇日に山陽新幹線が岡山から博多までの区間の営業を開始したことによる効果であるということができる。

このことは、広島鉄道管理局の旅客輸送人キロにおいてもみられるところであつて、昭和四六年から昭和五一年まで、年々増加し、特に昭和五〇年は昭和四九年に比べ一・二九倍と大幅に増加しており、昭和五一年に若干減少をみたものの、なお昭和四九年の数値を上まわつているのである。また、市内観光客数も昭和四六年から昭和五〇年まで年々増加しており、特に昭和五〇年は昭和四九年に比べ一・五倍と大幅に増加しており、昭和五一年にやや減少をみたものの、なお昭和四九年の一三八倍となつているのである。更に、市内宿泊客数は昭和四六年から昭和五一年まで、年々増加しており、特に昭和五〇年は昭和四九年に比べ一・三六倍となつているのであつて、以上によれば、広島市においては、特に昭和五〇年三月の山陽新幹線の開通の効果により広島市を訪れる観光客の人数が飛躍的に増加し、これに伴い市内宿泊人数も急激に増加したものということができる。

(ⅲ) 原告は、別紙一〇の「広島宿泊施設需給関係図」中の「広島県立地動向推移の伸び率」、「広島鉄道管理局旅客輸送状況」及び「広島市宿泊客数」の各グラフによれば、広島市は昭和五〇年ころから不況になつていたことが明らかであると主張する。

しかしながら、同図中「広島鉄道管理局国鉄旅客輸送状況」の数値は、山陽新幹線による旅客を除外して作成されたものであることが明らかであるから、旅客輸送の実態を反映したものということができず、また、「広島市宿泊客数」についても、証人小島信定の証言(第二回)により成立の認められる甲第三二号証によれば、これは、昭和五三年度の広島市経済局観光課作成による推計値によるものであることが認められるが、他方広島市の各年の宿泊人数であることが当事者間において争いのない別紙一九の4表の数値は、成立に争いのない乙第一三号証の一、二によると、東京国税局長が昭和五六年二月六日広島県知事に対し広島市の宿泊客数について照会し、これに対して広島県商工労働部商工観光課長が同月一七日に送付した回答書の数値によるものであることが認められ、前記推計値と比べはるかに正確性の高いものということができるのであり、しかも右推計値によると、昭和五〇年度には宿泊客数が減少したこととされており、前記の昭和五〇年における観光客数の飛躍的な増加と対比しても右推計値の統計上の正確性にはかなりの疑問があり、これを採用することができないものというべきである。

更に、「広島県立地動向推移の伸び率」についても、右数値によると、広島県の立地動向の伸び率は全般に減少傾向にあることが認められるものの、産業の動向を判断するうえで重要な工業出荷額等が本件全証拠によるも明らかでなく、右伸び率のみをもつて広島市が不況となりホテル宿泊業に悪影響を及ぼすような事態になつたものとまで認めることは到底できない。

よつて、これらの各数値に基づく原告の右主張はいずれも理由がないものというべきである。

(ウ) 広島市の宿泊施設の状況についてみると、証人小島信定の証言(第二回)により原本の存在及び成立の認められる甲第三三号証の一、二によると、広島市においては、昭和五〇年三月の新幹線の開通による宿泊客の増加を見込んで、昭和四八年初めころからホテルの新増設がみられるようになつたことが認められる。そして、新増設されたホテルの総数については、前掲甲第三二号証によると、宿泊施設のうち「ホテルの室数」は昭和四九年から昭和五一年まで各年それぞれ二三〇二、二三七七、二四五四と増加しているものの、各年の前年に対する増加率をみると昭和五〇年、昭和五一年ともそれぞれ前年の一・〇三倍であつて、前記市内宿泊客数の急激な増加と対比すると全く問題とするに足りない増加率であり、しかも同号証によると、昭和四九年から昭和五一年にかけて「旅館の室数」は逆に減少しており、右「ホテルの室数」、「旅館の室数」に「簡易宿泊所の室数」を加えた「室数の総数」も減少していることになつており、前記(イ)(ⅲ)と同様に甲第三二号証記載の各数値の正確性に疑問があるものの、いずれにせよ、昭和四九年から昭和五一年にかけてホテル宿泊施設の新増設により供給過剰の状態となつたとの原告の主張を裏付けるものということはできない。また、証人小島信定の第二回の証言によると、宿泊施設については、甲第三二号証記載の各数値以外の宿泊施設が増加しているはずであると供述するが、本件全証拠によるも右供述を裏付ける具体的なホテルの新増設の状況は明らかでないのであるから、右証人の証言は到底採用できず、他に原告の右主張を裏付ける証拠はない。

(エ) 以上によれば、広島クラブの昭和四九年七月期から昭和五一年七月期までの営業収支は、右保証金を預託した場合には、いずれも欠損を計上することとなり、一日当たりの宿泊客数も右各期とも毎期減少したが、他方、昭和五〇年三月の新幹線の開通に伴い広島市を訪れる観光客及び市内宿泊客数とも大幅に増加し、また、昭和四八年ころからホテルの新増設がみられるようになつたが、昭和四九年から昭和五一年にかけては特段のホテル宿泊施設室数の増加は認められないものということができるのであつて、これらのことを総合勘案すれば、原告が広島クラブの開業日である昭和四八年一〇月八日に一億一〇四五万三〇〇〇円の保証金の預託を免除しなければ広島クラブが倒産するおそれのある経営状況にあつたものとは到底認めることができないのみならず、その後昭和五一年六月三〇日の新委託契約締結に至るまで右保証金について未収の措置をとつたことについても、そうしないと広島クラブが倒産するおそれがあつたものと認めることはできず、そもそも原告が広島クラブの倒産を憂慮し、これを防止するために何らかの再建計画を立てていたなどの事実も認められないのであつて、右保証金未収の措置及び後の免除の措置について何らかの経済的合理性があつたことは、これを肯認することができないものというべきである。

<3> なお、原告は、原告が昭和四七年八月二四日に作成した広島クラブの起業目論見書においては、宿泊客の大幅な増加を見込んでおり、昭和四八年一〇月に発生したオイルシヨツクによる不況のため右の大幅な宿泊客の増加は見込めなくなつたもので、起業目論見書記載の見込値と実績値との間に大きな差があることによれば、広島クラブが保証金を預託できる状況になかつたことは明らかであると主張する。

証人小島信定の証言(第二回)により成立の認められる甲第三〇、第三一号証、同証人の証言(第二回)により原本の存在及び成立の認められる甲第四五号証及び同証人の証言(第二回)によれば、原告の取締役である小島信定は、昭和四七年八月二四日広島クラブを開設するあたり作成した起業目論見書において、別紙七の第一期ないし第三期の各計画値欄記載のとおりの目論見をしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。そして、右起業目論見書の各計画値と実績値との間に違いがあることは、原告主張のとおりであるが、別紙七の各期の計画値欄と実績値欄を対比すれば明らかなとおり、昭和四九年七月期ないし昭和五一年七月期の売上高実績値の対計画比はそれぞれ、一二三・三パーセント、一二六・一パーセント、九〇・一パーセントであり、営業経費実績値の対計画比(仮に保証金を預託したと仮定した場合)はそれぞれ一三一・四パーセント、一三八・二パーセント、一〇七・一パーセントであつて、各事業年度を対比してみても、原告主張のように広島クラブの経営状況が極めて悪化していたとの事実を裏付けるものということはできず、原告の右主張は理由がないものというべきである。

<4> 以上によれば、原告が広島クラブに対してした保証金の未収及び免除の措置に付いては、経済的合理性を認めることができず、右措置は経済的利益の無償の供与であつたものというべきである。

(3) 原告と鹿児島クラブとの間の旧委託契約によれば、原告は旧委託契約締結の日である昭和四九年二月二五日に三六三〇万円を保証金として無利息で預託を受けるべきものとされていたところ、実際には右期日に右保証金の預託がなかつたこと、鹿児島クラブでは昭和四九年二月一五日から昭和五〇年六月一九日までの間に別紙一六の3表記載のとおり株式払込み及び社債払込みとして合計一億四四〇〇万円の資金を調達し、他方、昭和四九年二月二八日から昭和五〇年六月一九日までの間に別紙五の3表記載のとおり合計一億四四〇〇万円を原告に貸し付けたことは、当事者間に争いがない。

右事実によれば、鹿児島クラブは、旧委託契約による保証金の預託日である昭和四九年二月二五日には株式払込額七〇〇〇万円の資金を有していたものであり、しかも、証人岡野宗男の証言によると、鹿児島クラブ設立前の原告鹿児島店として営業していた当時の営業成績は、別紙八「計画実績対比表」中の(株)法華倶楽部鹿児島店初年度ないし第三年度の実績値欄記載のとおりであることが認められ、右実績値によれば各年度とも良好な営業利益を計上してきたのであるから、昭和四九年二月二五日に保証金三六三〇万円を預託することには、原告及び関係各子会社の経理上何ら支障がなかつたものというべきである。

<2> 原告は、右保証金を預託しなかつた理由につき、昭和四八年一〇月のオイルシヨツクにより鹿児島市を訪れる観光客数が減少し、またホテル宿泊施設の乱立したこと等により保証金を預託することができなかつたものであると主張する。

(ア) 証人岡野宗男の証言によると、鹿児島クラブの昭和四九年七月期から昭和五一年七月期までの営業成績は、別紙八「計画実績対比表」中鹿児島クラブ第一期ないし第三期の「実績値」欄記載のとおりであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によれば、鹿児島クラブの昭和四九年七月期から昭和五一年七月期までの各期の営業収支は、それぞれ、四五四万一〇〇〇円、四九七万三〇〇〇円、六四五万六〇〇〇円の各利益を計上していたこと、一日当たりの宿泊人数は、それぞれ、七四・七人、一〇四・九人、九六・四人であつたことが認められる。

(イ) 次に、鹿児島市の経済状況についてみると、証人小島信定の証言(第二回)により原本の存在及び成立の認められる甲第一四号証、第二九号証の一ないし五、同証人の証言(第二回)により成立の認められる甲第二七号証によると、昭和四二年以降順調に増加してきた観光客数及び市内宿泊客数が昭和四九年及び昭和五〇年は減少したこと、鹿児島鉄道管理局内の普通乗車券の輸送人キロは、昭和四八年までは順調に増加したものの、昭和四九年から昭和五一年までは減少したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(ウ) 鹿児島市の宿泊施設の状況についてみると、鹿児島市内における登録ホテルの状況が別紙二〇記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。右事実によると、登録ホテルは昭和四八年末時点で四軒、客室総数一二一七で、右の状態は昭和五四年末も同様であつたということができる。

また、証人小島信定の証言(第二回)により原本の存在及び成立の認められる甲第二六号証によると、鹿児島市の一般観光客の宿泊に適するホテル旅館の総数及び総室数は、昭和四七年が一九五軒、三三一九室、昭和四八年が二五四軒、四八八五室、昭和四九年が二四三軒、四九六二室、昭和五〇年が二三七軒、五三六二室、昭和五一年が二三三軒五一七三室であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によると、登録ホテルの客室総数は昭和四九年において急増したものの、その後変動はなく、右登録ホテルを含めた市内宿泊施設の室数の総数は、昭和五一年は昭和四八年と比べ六パーセント弱増加したにすぎないものということができる。

(エ) 以上によれば、鹿児島クラブにおいては、昭和四九年七月期から昭和五一年七月期の営業収支は利益を計上しており、右保証金を預託し、各期とも旧委託契約による賦課金を支払つたとしても、昭和五一年七月期を除いては利益を計上することができるものであり、これと、前記の鹿児島クラブの前身である原告鹿児島店は昭和四六年九月六日開業以来、毎期順調な利益を計上してきた事実を合わせ考えると、原告が鹿児島クラブに対して三六三〇万円の保証金の預託を免除しなければ同クラブが倒産するおそれのある経営状況にあつたものとは到底認めることができないのみならず、鹿児島市を訪れる観光客数は昭和四九年、昭和五〇年は減少したものの、市内宿泊施設も当時急増し乱立状態に陥つたものということもできず、現実に、鹿児島クラブの一日当たりの宿泊客数は、昭和五〇年、昭和五一年は昭和四九年よりも増加しているのであるから、この面からも同クラブに特段の経営悪化などの状況があつたものということはできない。

<3> なお、原告は、原告が原告鹿児島店を昭和四六年九月六日に開業するにあたり昭和四五年四月一二日に作成した起業目論見書によれば、宿泊客数の大幅な増加を見込んで見込値を策定したのにかかわらず、昭和四九年二月二五日の保証金預託日には昭和四八年一〇月のオイルシヨツクの影響により右の大幅な宿泊客の増加は見込めず、起業目論見書記載の見込値と実績値との間に大きな差があることによれば、保証金を預託することは不可能であつたことが明らかであると主張する。

しかしながら、証人小島信定の証言(第二回)により成立の認められる甲第二四、第二五号証、同証人の証言(第二回)により原本の存在及び成立の認められる甲第二八号証及び同証人の証言(第二回)によると、原告は原告鹿児島店を開設するにあたり、原告の取締役である小島信定が、昭和四五年四月一二日当時現地調査を行い、需要が少ないので余り規模の大きな宿泊施設は開設できないものの、宿泊客数が順調に増加することを見込んで、別紙八の(株)法華倶楽部鹿児島店初年度ないし第三年度、鹿児島クラブ第一期ないし第三期の各「計画値」欄記載のとおりの目論見をしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

そこで、右各見込値と実績値とを対比すると、宿泊人数は昭和五〇年七月期及び昭和五一年七月期には見込値の六〇パーセント前後に減少したものの、売上高は、原告鹿児島店初年度以降鹿児島クラブ昭和五一年七月期まで、計画値ないしそれを上まわる金額を計上しており(昭和五一年七月期のみ計画値の九一・三パーセントと下まわつている。)、前記の各営業利益の状況と照らしても、原告主張のように、鹿児島クラブの経営状況が極めて悪化していたとの事実を裏付けるものではないというべきである。

<4> 以上によれば、原告が鹿児島クラブに対してした保証金の未収及び免除の措置については、経済的合理性を認めることができず、右措置は経済的利益の無償の供与であつたものというべきである。

6  そうすると、旧委託契約に基づき関係各子会社が原告に預託すべき保証金について、原告がそれぞれ未収の措置をとり、昭和五一年六月三〇日付新委託契約において旧委託契約を解除したうえ同年一一月一日付覚書において右保証金の預託義務を免除した措置をとつたことには、いずれも経済的合理性が認められないものというべきであるから、原告は関係各子会社に対して保証金の運用益相当額の利益の無償の供与をしたものであり、これは、法人税法三七条五項の寄付金に該当するものというべきところ、関係各子会社が原告に対して保証金額を上まわる金員を貸し付け、原告がこれに対し年一割の割合による利息を支払つていること、原告及び関係各子会社の発行する社債の利子は年一割の割合によるものであることに照らせば、右運用益相当額の利益は年一割の割合による利息相当額であると認めるのが相当である。

そこで、昭和四九年七月ないし昭和五一年七月期における保証金の運用益相当額を算出すると、別紙四の1ないし3の各「保証金の運用益相当額の寄付金」欄記載のとおり、昭和四九年七月期は一三〇五万一五三七円、昭和五〇年七月期は一八二一万五七三〇円、昭和五一年七月期は一六六七万二六八五円となる。

四  次に、昭和四九年七月期の寄付金額中、「大分クラブの地代相当部分の賦課金の免除による経済的利益の供与額」(別紙四の1の該当欄)につき、これが寄付金に該当するかどうかについて判断する。

1  原告と関係各子会社との間の旧委託契約には、関係各子会社が原告に対して各店舗における地代ないし地上権償却相当額、家賃ないし建物償却相当額及び売上スライド部分の合計額に相当する金員を賦課金として毎月支払うべきものとの定めがあつたところ、原告は大分クラブとの間における昭和四八年一一月一五日付覚書をもつて、同クラブに対し同月一六日から昭和四九年七月三一日までの間の賦課金のうち地代相当部分一一四一万七六二五円の支払義務を免除したこと、賦課金のうち地代相当部分及び家賃相当部分の金額についてみると、大分店の建物は原告が住友生命から借り受けたものであるところ、原告が昭和四九年七月期に右建物の賃借料として住友生命に支払つた金額は四五九〇万円であり、他方、原告が大分クラブから収受した当該事業年度分の家賃相当部分は三四四八万六五四〇円であること、原告が大分クラブに対し右地代相当部分の賦課金を免除したのは大分店の開店の前日のことであること、以上の事実は当事者間に争いがない。

右事実によると、原告が昭和四九年七月期に大分クラブから収受した賦課金額のうち家賃相当部分三四四八万六五四〇円と支払を免除した地代相当部分一一四一万七六二五円とを加えたものは四五九〇万四一六五円となり、原告が住友生命に対して支払つた建物賃料額四五九〇万円とほぼ完全に一致するものであつて、これによれば、原告が大分クラブに対して賦課した地代相当部分及び家賃相当部分の賦課金額は、原告が住友生命に対して支払うべき大分店の建物賃料額と一致するように定められたものと推認すべきであつて、右のように定められた賦課金の一部についてその支払義務を免除したことは、これをもつて経済的利益の無償の供与に当該するものという妨げないものというべきである。

2  これに対し、原告は、大分クラブに対し賦課金の一部を免除したのは、昭和四八年秋のオイルシヨツクにより大分市が深刻な経済不況に陥り宿泊客数が起業目録見書による見込みより減少し、かつ、ホテル宿泊施設の乱立により、営業利益が極端に減少し、賦課金の徴収により大分クラブが直ちに倒産状態に陥ることが開業前に判明したため、その一部を減額改訂することとしたものであつて、右減額改訂には経済的合理性があると主張する。

そこで、右賦課金の一部免除(減額改訂)の措置に経済的合理性が存するか否かについて検討するに、前記三5(三)(1)において判示したとおり、大分クラブの昭和四九年七月期の営業収支は欠損を計上していたが、大分市の工業出荷額は昭和四七年から昭和四九年にかけて大幅に増加しており、また、市内宿泊客数も昭和四七年から昭和四九年にかけて大幅に増加し、これに伴い昭和四八年から昭和四九年にかけてホテル宿泊施設の新増設が相次いだが、大分クラブはこれら新設ホテルの中でも最大手で、客室数も最も多く、立地条件にも恵まれ、大衆料金で知名度も高いことから顧客吸引力がかなり強いものであつたというのであるから、大分クラブが開業日の前日である昭和四八年一一月一五日の時点において、開業後経営危機に陥ることが予想される状況にあつたということはできず、また同クラブが現実に昭和四九年七月期において倒産の危機にあるなど経営状態が悪化していたということもできないのであり、原告が大分クラブに対して昭和四八年一一月一五日に賦課金のうち地代相当部分の免除をしたことに何らかの経済的合理性があつたものと認めることはできないというべきである。

3  次に、原告は、大分クラブに対し賦課金のうち地代相当部分の免除をしたものの、同期において賦課金として家賃相当部分と売上スライド部分の合計額五一五〇万一四六二円を収受しており、これは、原告が住友生命に対して支払つた建物賃借料四五九〇万円を超えるものであるから、右減額改訂は相当であつたと主張する。

そこで検討するに、原告が、昭和四九年七月期において大分クラブから賦課金として家賃相当部分と売上スライド部分の合計額五一五〇万一四六二円を収受しており、これは、原告が住友生命に対して支払つた建物賃借料四五九〇万円を超える金額であることは、当事者間に争いがないが、賦課金額のうち地代相当部分は、前記のとおり、家賃相当部分と合わせて原告が大分店の建物賃貸人である住友生命に対して支払う建物賃借料と一致するように定められたものであつて、これは原告と大分クラブとの間の業務委託の趣旨に照らせば合理的な根拠があるものということができるのであるから、これと趣旨の異なる売上スライド部分の金額を考慮して、地代相当部分の免除の経済的合理性を肯定することはできないものというべきである。

なお、原告は、住友生命との間で大分店の建物の賃借料について、昭和五二年七月期分を一〇〇〇万円、昭和五三年七月期分を一五〇〇万円減額改訂しており、本件措置は、これと全く事情を一にするのであるから、当事者間で合理的な額に減額できることは当然であると主張するが、前記のとおり、原告が大分クラブから収受すべき賦課金額中地代相当部分及び家賃相当部分の額は、原告が住友生命に支払うべき建物賃借料と同額に定められており、昭和四九年七月期においては、原告は住友生命との建物賃借料の額を改訂しないまま大分クラブから収受すべき賦課金額中地代相当部分のみを免除しており、これについて経済的合理性が認められないことは前記のとおりであるから、仮に後の年度において原告と住友生命との間において建物賃料額が減額されたとしても、そのことによつて前記判断が左右されるものではないというべきである。よつて、原告の右主張は理由がない。

4  以上によれば、原告は、大分クラブに対して賦課金のうち地代相当部分の金額一一四一万七六二五円の支払義務を免除することにより、同クラブに対して一一四一万七六二五円の経済的利益を無償で供与したこととなり、これは法人税法三七条五項の寄付金に該当するものというべきである。

五  次に、昭和五一年七月期の寄付金額中「旧委託契約により収受すべき賦課金の免除による経済的利益の供与額」(別紙四の3の該当欄)につき、これが寄付金に該当するかどうかについて判断する。

1  原告が、関係各子会社との間の旧委託契約に基づいて関係各子会社から毎月収受すべき賦課金は、地代相当部分、家賃相当部分及び売上スライド部分の合計額とし、原告はこれを毎月家賃収入として収益の額に計上し、関係各子会社もこれを家賃として経費の額に計上していたところ、原告と関係各子会社とは昭和五一年六月三〇日新委託契約を締結して旧委託契約を解除し、賦課金算定基準を売上スライド部分の一基準のみによることと変更し、その変更の効力発生の日を昭和五〇年八月一日遡及されることとし、その結果として既に計上した収益の額の一部を減額処理したこと、すなわち、原告は、振替伝票上、昭和五一年七月三一日付で、旧委託契約の賦課金算定基準により計算した昭和五〇年八月分から昭和五一年七月分までの賦課金の額を算定替えによつて訂正することとし、右賦課金の額を家賃収入の額から減算するとともに、新委託契約による変更後の賦課金算定基準に基づいて計算した当該期間に係る賦課金の額をもつて家賃収入の額を増額していること、また、関係各子会社も、振替伝票上、同日付で原告の経理に対応して、それぞれ原告が家賃収入の額から減額した当該金額については支払家賃の額から減額し、原告が家賃収入の額を増額した当該金額については支払家賃の額を増額していること、昭和五一年七月期において原告が関係各子会社から収受すべき賦課金額を旧委託契約による算定基準に基づいて計算すると、別紙四の3表中「旧委託契約により収受すべき賦課金の免除による経済的利益の供与額」欄のうち「旧委託契約による賦課金」記載のとおり、合計二億八九三四万一八七五円となり、他方、これを新委託契約による算定基準に基づいて計算すると、同欄のうち「新委託契約による賦課金」記載のとおり、合計二十一億一八六七万二六九五円となるので、差引額は七〇六六万九一八〇円となること、以上の事実は、当事者間に争いがない。

そして、前掲甲第七号証の一ないし三によれば、原告と関係各子会社との間の旧委託契約によると、右賦課金の経理処理については、関係各子会社は、毎日売上入金の全額を直ちに原告に送付し、毎月末日にその月の間の純売上高を計算して、その内訳書と賦課金(地代相当部分、家賃相当分及び売上スライド部分)の計算書を翌日五日までに原告に提出し、原告は右売上金額の内から右賦課金額を控除した残金を関係各子会社に対する本件委託業務の費用及び報酬として翌月二〇日までに関係各子会社に支払うものとされていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、原告が関係各子会社から収受すべき賦課金額は毎月額が確定しかつ精算されることになつているのであるから、毎月収益として確定的に発生していたものというべきところ、原告は、昭和五一年七月期において、右のように収益として確定的に発生していた関係各子会社に対する賦課金について、新委託契約による賦課金の算定基準を昭和五一年七月期の開始の日に遡及して適用し、既に計上した収益の額の一部を減額修正したというのであるから、原告は、右収益の額の一部を関係各子会社に対して免除したことになるものというべきであり、したがつて、原告は、右差引額七〇六六万九一八〇円に相当する経済的利益を関係各子会社に無償で供与したこととなるものというべきである。

2  これに対し、原告は、旧委託契約による賦課金額は著しく高額であつて、右事業年度の開始当時においても算定基準の改訂が必要とされていたものであるが、合理的な率の算定が当時の激変する経済情勢の下では困難であつたため、関係者間において、とりあえず暫定的に旧委託契約による算定基準により算出し、適当な率の算定が可能となつた時点において期首から適用する旨合意したのであり、右処理はこれによるものである旨、また、このように一定期間経過後において価額なり、リベートの額を定め、これを期首から適用することは価額変動の激しい業界においては、しばしば行われることである旨を主張し、証人小島信定(第一回)及び同佐野泰正の各証言中には原告の右主張に沿うとみられる部分がある。しかしながら、右各証言は、原告と関係各子会社との間の賦課金の率の算定について昭和五一年七月期の期首に存したとする合意については、当時日本経済が流動的であつたため賦課金の算定を成行きで行つて、後に修正しようという考え方があつたとか、契約案文のとりまとめが遅れたと述べるだけで、右合意が具体的に何時、如何なる当事者間でなされたものであるか何ら明らかにするところがないので、右証言部分はこれを採用することができず、他に右合意が存したと認める足る証拠はない。また、昭和五一年七月期において、賦課金による収益についてこれを暫定的なものとして計上するなど特段の経理処理を行つていたことを窺わせる証拠もないから、結局、原告の右主張は採用することができない。

なお、原告は、新委託契約による賦課金の算定基準は旧委託契約によるものに比べて合理的なものであるから、新たな算定基準を期首に遡及させて適用することとしたと主張するが、仮に新委託契約による賦課金の算定基準が旧委託契約によるものよりも合理的であるとしても、そのことによつて、既に発生した収益を免除する経済的合理性を裏付けることができないものであることは明らかであるから、右主張はそれ自体失当である。

3  次に、原告が関係各子会社に対し昭和五一年六月三〇日付新委託契約による賦課金の算定基準に基づいて、既に発生した賦課金についてその一部を免除した措置に、関係各子会社の倒産を防止するなどの経済的合理性が存したか否か検討するに、関係各子会社が昭和五一年七月期に倒産のおそれのある経営状態にあつたものということができないことは、前記三5(三)において判示したとおりであり、また、原告が昭和五一年七月期において関係各子会社に対し賦課金の一部を免除するにあたつて、原告が関係各子会社の倒産を防止するための何らかの合理的な再建計画を作成し、これに基づいて右免除がされたなど、経済的に合理的な理由に基づいて右措置がされたと認めるに足る証拠はない。

なお、原告は、仮に新委託契約により賦課金の算定基準を改訂しなかつたとするならば、関係各子会社の経営状況は別紙一三ないし一五のとおりとなり、関係各子会社は到底存続が不可能であつたものであると主張し、証人岡野宗男の証言によれば、仮に新委託契約により賦課金の算定基準を改訂しなかつたとするならば、関係各子会社の営業状況は別紙一二ないし一五記載のとおりとなることが認められる。そして、右事実によれば、関係各子会社において旧委託契約の算定基準による賦課金額がその経営にとつてかなりの負担となつており、新委託契約による賦課金の算定基準の方が関係各子会社の経営にとつてより負担の少ないものであつたということはできるが、しかし、そうであるからといつて、そのことだけで、既に発生した賦課金を免除することの経済的合理性を裏付けるものということができないことは明らかである。原告の右主張は理由がない。

4  以上によれば、原告は関係各子会社に対し賦課金の一部である七〇六六万九一八〇円の支払義務を免除することにより、関係各子会社に対し同額の経済的利益を無償で供与したこととなり、これは法人税法三七条五項の寄付金に該当するものというべきである。

六  本件各係争事業年度の更正(再更正)、決定の適法性について

1  昭和四九年七月期分再更正及び決定について

申告所得金額(別紙二の一表<1>欄)が四七六一万一三二一円であること、更正分加算金額(<1>4欄、<2>ないし<1>3の合計欄である。)が二三二六万一四一二円であること、再更正加算額のうち賃借料収入計上漏れ(欄)が二一八万四四五〇円であることは、当事者間に争いがなく、寄付金の損金不算入額(<1>6欄)については、、前記三、四の各事実によると、別表三の1表3欄のうち昭和四九年七月期の関係各子会社に対する寄付金の合計額は別紙四の1表合計欄記載のとおり二四四六万九一六二円であることが認められ、これと別紙三の1表3欄のうちその余の金額が三三四万九〇〇〇円であること(右事実は前記二1のとおり当事者間に争いがない。)とを合わせると、右3欄の金額は二七八一万八一六二円となることは計数上明らかであり、これに基づいて寄付金の損金不算入加算額(別紙二の1表<1>6欄)を算出すると(別紙三の1表2、5、6、7、10、11、19、の各欄の金額はいずれも当事者間に争いがない。)、右金額は二三六九万五五四六円となることが計数上明らかであるから、結局、原告の所得金額(別紙二の1表<1>8欄)は九六七五万二七二九円となり、被告の本件再更正に原告の所得を過大に認定した違法はないというべきであり、したがつて、右再更正を前提とした昭和四九年九月分決定にも何ら違法はないというべきである。

2  昭和五〇年七月期分更正及び決定について

申告所得金額(別紙二の2表<1>欄)が七六六四万八四六八円であること、加算金額中、寄付金の損金不算入額の増加額(欄)以外の各金額(<2>ないし<9>欄)については、当事者間に争いがなく、寄付金の損金不算入額の増加額(欄)については、前記三の事実によると、別紙三の2表3欄のうち昭和五〇年七月期の関係各子会社に対する寄付金の合計額は別紙四の2表計欄記載のとおり一八二一万五七三〇円であることが認められ、これと別表三の2表3欄のうちその余の金額が一九四万〇二〇〇円であること(右事実は前記二2のとおり当事者間に争いがない。)とを合わせると、右3欄の金額は二〇一五万五九三〇円となることは計数上明らかであり、これに基づいて寄付金の損金不算入額の増加額(別紙二の2表欄)を算出すると(別紙三の2表5、6、9、10、18の各欄の金額はいずれも当事者間に争いがない。)、右金額は一八一四万〇三一五円となることが計数上明らかであるから、申告所得金額に加算すべき金額(別紙二の2表欄、<2>ないし欄の合計額である。)は二三四七万二〇一三円となるところ、右金額から減算すべき金額(欄、<1>2ないし<1>4欄の合計額である。)が三三七万八八九五円であることは、当事者間に争いがないから、結局、原告の所得金額(別紙二の2表<1>6欄)は九六七四万一五八六円となり、被告の本件更正に原告の所得を過大に認定した違法はないというべきであり、したがつて、右更正を前提とした昭和五〇年分決定にも何ら違法はないというべきである。

3  昭和五一年七月期分更正及び決定について

申告所得金額(別紙二の3表<1>欄)が六二八二万八七一五円であること、加算金額中、寄付金の損金不算入額の増加額(<4>欄)以外の各金額(<2>、<3>欄)については、当事者間に争いがなく、寄付金の損金不算入額の増加額(<4>欄)については、前記三、五の各事実によると、別紙三の3表3欄のうち昭和五一年七月期の関係各子会社に対する寄付金の合計額は別紙四の3表合計欄記載のとおり八七三四万二〇四五円であることが認められ、これと別紙三の3表3欄のうちその余の金額が二七〇万六一一七円であること(右事実は前記二3のとおり当事者間に争いがない。)とを合わせると、右3欄の金額は九〇〇四万八一六二円となることは計数上明らかであり、これに基づいて寄付金の損金不算入額の増加額(別紙二の3表<4>欄)を算出すると(別紙三の3表2、5、6、9、10、18の各欄の金額はいずれも当事者間に争いがない。)、右金額は八四八九万四七三五円となることが計数上明らかであるから、申告所得金額に加算すべき金額(別紙二の3表<5>欄、<2>ないし<4>欄の合計額である。)は八九五四万三四三一円となるところ、右金額から減算すべき金額(欄、<6>ないし欄の合計額である。)が六〇九万八三六六円であることは、当事者間に争いがないから、結局、原告の所得金額(別紙二の3表<1>2欄)は一億四六二七万三七八〇円となり、被告の本件更正に原告の所得を過大に認定した違法はないというべきであり、したがつて、右更正を前提とした昭和五一年分決定にも何ら違法はないというべきである。

七  よつて、原告の本訴請求はいずれも理由がないので失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宍戸達徳 裁判官 中込秀樹 裁判官 金子順一)

別紙一 課税処分等の経緯

1. 昭和四九年七月期分

<省略>

2. 昭和五〇年七月期分

<省略>

3. 昭和五一年七月期分

<省略>

別紙二 課税所得の計算

1 昭和49年7月期分

<省略>

2. 昭和50年7月期分

<省略>

3. 昭和51年7月期分

<省略>

別紙三 寄付金の損金不算入額の計算

1. 昭和49年7月期分

<省略>

(注) 1. 上記の表の5の金額36,026,729円は、申告所得金額のうち所得税額の損金不算入額8,770,610円及び寄付金の損金不算入額2,813,982円を除いて計算した金額である。

2. 上記の表の7の金額2,184,450円は、本件再更正処分により加算された金額のうち寄付金の損金不算入額の増加額を除いて計算した金額である。

3. 根拠法令欄の「法」は法人税法、「令」は法人税法施行令、「規」は法人税法施行規則を表わす、アラビアア数字は条文、ローマ数字は項数、漢数字は号数を表わす。

2. 昭和50年7月期分

<省略>

(注) 1. 上記の表の5の金額65,992,224円は、申告所得金額のうち所得税額の損金不算入額9,920,449円を除いて計算した金額である。

2. 上記の表の6の金額2,037,520円は、本件更正処分により加算された金額のうち寄付金の損金不算入額及び控除所得税の加算過大額を除いて計算した金額である。

3. 昭和51年7月期分

<省略>

(注) 1. 上記の表の5の金額49,926,671円は、申告所得金額のうち所得税額の損金不算入額9,154,215円及び寄付金の損金不算入額3,747,829円を除いて計算した金額である。

別紙四 被告の認定した寄付金の内訳

1. 昭和四九年七月期分

<省略>

2. 昭和五〇年七月期分

<省略>

3. 昭和五一年七月期分

<省略>

別紙五 借入金内訳表

1. 大分クラブ

<省略>

2. 広島クラブ

<省略>

3. 鹿児島クラブ

<省略>

別紙六

計画実績対比表

(株)大分法華倶楽部

<省略>

別紙七

計画実績対比表

(株)広島法華倶楽部

<省略>

別紙八

計画実績対比表

(株)鹿児島法華倶楽部

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

別紙三

賦課金一覧表(1)

<省略>

※昭和48年8月1日以降同51年7月31日迄の3事業年度につき、各期毎に第1欄(旧契約による金額)、第2欄(右金額の対売上比)、第3欄(新契約による金額)、第4欄(右金額の対売上比)、第5欄(住友生命への支払家賃額)を示す。

※なお対売上高比は、少数点以下四捨五入(鹿児島クラブ除)。

※したがって、49年7月期と50年7月期の第3、4欄、及び51年7月期の1、2欄は、仮りに右各欄の契約によるとした場合の仮定の額を示している。

賦課金一覧表(2)

<省略>

※49年7月期及び50年7月期の旧契約に基く第1段(賦課金額の明細)、第2段(住友生命への支払家賃額)、第3段(1と2の差額)、第4段(更正決定による保証金利息額)、第5段(更正決定による賦課金中土地代金)及び第6段(3と4及び5の加算による再計上差額)を示す。

◎1.、◎2. 広島クラグの住友生命支払家賃欄は、住友生命の家賃算出計算方法により算出した金額。

賦課金一覧表(3)

<省略>

別紙一三

当初契約による暫定的賦課金等と新契約による賦課金等とによる営業成績表

大分法華倶楽部

<省略>

別紙一四

当初契約による暫定的賦課金等と新契約による賦課金等とによる営業成績表

広島法華倶楽部

<省略>

別紙一五

当初契約による暫定的賦課金等と新契約による賦課金等とによる営業成績表

鹿児島法華倶楽部

<省略>

別紙一六 資金調達額内訳表

1. 大分クラブ

<省略>

2. 広島クラブ

<省略>

3. 鹿児島クラブ

<省略>

別紙一七 原告の関係各子会社に対する債権、債務の内訳

(昭和五一・七・三二現在)

<省略>

(注) <1> 債権額、債務額のいずれも原告の本部分及び各支店分を合計したものである。

<2> 「賦課金免除額」の大分クラブ分は、昭和四九年七月期分と昭和五一年七月期分を合計したものである。

別紙一八 大分クラブ関係

1. 工業出荷額

<省略>

2. 市内宿泊客数

<省略>

3. ホテルの設置年度別表

<省略>

別紙一九 広島クラブ関係

1. 国鉄広島駅の乗降人員

<省略>

2. 広島鉄道管理局の旅客輸送人キロ

<省略>

3. 市内観光客数

<省略>

4. 市内宿泊客数

<省略>

別紙二〇 鹿児島クラブ関関

登録ホテルの状況

<省略>

別紙二一

同業他社との比較に基づく法華クラグの賦課金の妥当性について

<省略>

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